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3つの柱

アディクションとは?


地球家族エコロジー協会が、主たる支援対象としている分野は「アディクション」です。
アディクションという言葉を初めて耳にする方も多いと思いますので、ここではまずアディクションのことについてご説明します。


定義

アディクションは日本語では「嗜癖(しへき)」といい、それは、「悪い習慣に耽(ふけ)り、それをやめようとしてもやめることができず、それに日常生活を支配されている状態」を指します。


種類

  • 依存症(詳細は下記の2.)
  • 虐待
  • 不登校・ひきこもり
  • 共依存
  • アダルトチルドレン
  • 摂食障害
  • ドメスティック・バイオレンス(DV)など

分類


発生メカニズム

アディクションは「家族の病」です。ジンバーグによるアディクション行動の発展メカニズムを記します。
「生育歴の初期に拒絶体験や過保護、早すぎる自立、緊張状態などを体験し、過度の依存欲求、過度の愛着欲求が育っていく。そのため人生の中で何度も拒絶感、拒絶体験を味わい、自分の存在に対する不安が目覚めていく。その反動として誇大的思考に陥り、さらに人間関係において失敗を重ねていく。そして自責の念、罪悪感、寂しさ、怒りなどの満ちた人生となり、それから逃れるために酔いを求めていき嗜癖行動が発展していく。」
(参考文献:『現代のエスプリ434-アディクション-』安田美弥子)

「自分の心が病んでいる」という意識の欠如あるいは強い否認がアディクションの大きな特徴です。アディクションは「否認の病」とも言われ、決して病理ではないのですが、強い心理的防衛が働いている状態です。冒頭に示した種類のいずれにも疾患といえるものはなく、薬物治療の範疇ではないことは理解できると思います。

アディクションには精神医療で行われる薬物療法では有効性が期待できず、また一般的な医療的心理療法もほぼ同様であり、その回復のためにはある特別なアプローチを要します。それをアディクションアプローチと呼びます。アディクションアプローチを含め、アディクションについていくつかお話します。

1.医療モデルとアディクションアプローチの対比

冒頭にアディクションの種類をいくつか挙げましたが、例えばDVを例に挙げると、医療治療的なアプローチでは加害者(仮に夫とします)にばかり治療対象として焦点が合わされ、被害者(仮に妻とします)にはほとんど目が向けられず、救済の手がほとんど差し伸べられません。

ひきこもりで言えば、当事者は社会とのかかわりを遮断しているから「ひきこもり」であり、当事者にだけ目を向ける医療モデルでは、当事者と会うことすらままならないのです。

これらの例のように当事者にのみ焦点が合わされていては、問題そのものが解決しないことが少なくありません。アディクションの多くのケースは、当事者より もむしろ周りの人間、多くその家族が困っているという状況にあり、当事者以外は無関係としてしまうと問題の本質が見失われる恐れがあります。

ある問題が起こったということは、問題を起こした者、それによって困っている者、その問題を支えている者などと色んな立場が複雑に絡み合っていると考えら れます。アディクションアプローチでは、問題を起こした(症状のある)当事者に限らず、そこに関わっている全て(ここでは家族)を対象とみなします。ここが医療モデルと大きく異なる点です。

医療 アディクションアプローチ
視点 何に罹患しているか 何が問題か・困っているのは誰か/何か
病理(問題)対象 患者(当事者) 当事者を含めた家族
病態 個人病理 認知(*)のゆがみ
決定権者 治療者(医師) 自己
回復モデル 治癒、寛解 生き方・価値観の変容

(*)認知:ものの見方、とらえ方

アディクションに陥った原因の多くは、生まれ育った「家庭」という生育環境の中で培われたものです。症状の出たもの(当事者)だけを原因とみなさず、家族 の全成員が問題の要因が家庭にあるということを認識し、「悪いのは誰か」から「この問題の本質は何か、困っていることは何か」へと認知を変容させ、歪んでいた認知を修正するプロセス的処方が「アディクションアプローチ」といえます。

2. 依存症

アディクションの代表的なものに依存症があります。依存症という嗜癖は、「満たされていない、渇望するなにか」を補填するための代償行為として表れます。それは多くの場合、幼い頃に充足できなかった親に対する「愛着欲求」です。

依存症の種類
  • アルコール依存
  • 薬物依存
  • ギャンブル依存
  • 買い物依存
  • セックス依存
  • 仕事依存

これらは依存症の主要なものですが全てではなく、何かしらに対する依存は無数に存在しています。
恋愛依存/成功依存/ゲーム依存/宗教依存/インターネット依存・・・

依存症チェックの三段論法
  • 1. ある人Aが習慣的に○○○を行う
  • 2. それによってある人Bが困る
  • 3. それを知りつつある人Aはその行為○○○がやめられない

上記○○○には依存している嗜癖行動が入ります(アルコール依存なら飲酒、ギャンブル依存ならギャンブル)。このなかで問題は、行為の主体はAであるのに、困っている人は別人のBであることです。このときBは自分が困っていることを分からせようとするためにAをコントロールしようとします。しかしたいていの場合、AはBが困っていることを知っているけれども、どうしてもやめることができないのです。もしA自身だけが困っており、Bも誰も困っていないのであれば、それは依存症ではなくただのA個人の問題です。

依存症を支える二人の関係
【イラスト】依存症と依存症を支える二者関係

この二者関係ではBがAの世話―息子がギャンブルで作った多額の借金をわが子のためだと母が肩代わりして支払う、泥酔した亭主が暴れた後でも文句も言わず後片付けをするなど―をすればするほど、Aはますます困らなくなり、むしろ嗜癖を続けるメリットを与えられることになり、その結果Aは「依存症者としての現実」への直面の機会が奪われます。Bが尻拭いをすればするほどAの依存が深まるというパラドクスがこの二者関係に潜んでいます。イネイブラー(enabler)とは、人が×××することを可能にする人、という意味です。それは依存症者の被害者でありつつも、またその依存を促進する者でもあるのです。

(参考文献:『依存症』 信田さよ子 著 文春新書)

3. 習慣の病

心身症、神経症、精神病を心の病と言うならば、アディクションは「習慣の病」と言えるでしょう。このページの冒頭にも記しましたが、アディクションとは、やめようやめようと思いながらもやめることのできない悪い習慣に耽ることを指します。精神疾患というわけでは決してないのですが、この著しく偏った習慣による不適応はかなり病的とは言えるかもしれません。例えば・・・

  • 虐待:わが子を叩いてはいけない、罵ってはいけないと頭で分かっていながら"つい"やってしまう
  • DV:妻を暴力で支配したって気持ちが離れていくばかりだとわかっていながら"どうしても"叩いてしまう

この"つい"や"どうしても"は、同じ状況になったときに、分かっていながらなぜか同じことをやってしまう。これが「習慣化」しているという状態です。

アディクションに陥った人たちは、人間が普段の行動を習慣的に行っているのと同様に、自らの習慣に従って行動しているだけなのですが、ただその習慣が社会的に認知しがたい悪い習慣であるという違いを持っています。それは、習慣そのものが病んでいる、と言えるかもしれません。次に、習慣に関することを「反復強迫」「スキーマの問題」と分けてお話します。

4. 反復強迫

日々の人間の生活は、反復される習慣の上に成り立っています。誰しも自分なりの習慣というものがあり、たとえばおふろでは必ず左手から洗う、洋服はいつも暖色系ばかりを購入している・・・といったように、何かしらの行為・選択をする際、毎回その理由を考察することもなく無意識的に普段通りの行動や選択を繰り返しています。この無意識的な習慣のおかげで、人間は自分にとっての秩序ある系統立った生活が可能となっています。

しかし、反復により身についた習慣は、必ずしも健康的な方向に作用するとは限りません。

  • 何百万もの借金をつくってもギャンブルがやめられない
  • 命の危険があるといわれても酒がやめられない
  • 身体をひどく傷つけてまでもリストカットを繰り返してしまう

こうなってしまうと、いろんな問題を生じてしまいます。上記の例三点に共通することは、その習慣がよくないことを自分がわかっているにもかかわらず、止められないどころかむしろ繰り返しているという点です。この一見不可解な行動である反復強迫についてもう少しだけお話します。

<反復強迫の定義>
「一般に、人間には昔の経験を反復する傾向、反復せずにはいられない反復強迫があると考えられる。人間を行動に駆り立てる原因は二つあり、一つは願望によるもの、もう一つは機械的反復である。この機械的反復とは、過去のいやな体験をそのまま繰り返すことによって、この感情的なキズを除いたり克服したりするためのもの

「反復強迫」は、ある行為を行うことによって何ら快感を得られず、むしろ行為の当事者は、それを非常に不快に思いながらもその行為をやめることができないというものです。アディクションとは、まさにこの反復強迫により支配され繰り返される悪い習慣です。嗜癖者とは、強迫行為の繰り返し(反復)を行うことを傾向としてもっている人間とも言えるでしょう。

反復強迫が病的水準まで移行したものが強迫性障害(強迫神経症)です。

  • バイ菌が手についているように感じて何度洗っても手洗いをやめられない(洗浄強迫)
  • 玄関の鍵を何度確認しても気になってしまい、確認することをやめることができない(確認強迫)

これらは医学分類上で病理とされますが、病理性と関係なく、多くの人間が強迫的な部分を何かしらもっていると思います。その中でも嗜癖行為は、目に付きやすい状態で強迫が表れているといえます。嗜癖者の持つ強迫のキーワードは「尊大さ」です。それは、決心さえすれば自分は何でもできるという「万能感」であり、本当は超人的なコントロール能力を自分はもっているんだという幻想です。(たとえば、アルコール依存症者の「酒はいつでもやめられる」という発言や、DVを行う夫が言う「もう2度と暴力は振るわない」など)
自分は特別な存在であるという尊大さゆえに、その自分を認めない他人を卑下、差別しようと試みます。しかしこの尊大さの本質は、ほとんどの場合「自己否定」または現実の否定の裏面として表れたものです。

―それは幼い頃、家庭の中に何かしらの機能不全が存在し、日常的にそこにある暴力、無関心、支配などに対して全く力をなすことのできなかった(=コントロール不能であった)子どもの無力感と自責感の無意識の再現―

これは、全く力の及ばなかった辛い過去に対して、敢然と今の自分で立ち向かう試み(=過去の不安・恐怖をかき消すための心の中での闘い(時には逃避))であり、それは過去の無力感、自責感を克服しようとする強い意志の表れです。その結果表れるものが、一見意味のないような過去のトラウマの反復です。その過去を今回こそは今回こそは克服しようという無意識的な欲動が反復強迫です。

頭では、嗜癖行為は無益だと理解していても、この尊大さやコントロールの幻想を捨てない限り、つまり自分は反復強迫に支配されている弱い存在であり、変えようのない過去を必死に変えようとする試みを行っているに過ぎないということに気づかない限り、アディクションの回復過程へと向かうことは困難でしょう。

(参考文献)
『精神分析入門』 宮城 音弥 著 岩波新書
『強迫パーソナリティ』 L.サルズマン 著 みすず書房

<参考>異なる視点から見た反復強迫

◆ピエール・ジャネ(フランスの心理学者・医師)の言葉を借りれば、反復強迫とは「自己破壊の傾向を持つ精神形態」であり、それを生き方の反復強迫ととらえれば、運命的に上位世代より連綿と受け継がれてきたものと言えるかもしれません。

◆反復強迫には心理的要因のほかに、生物学的要因としてもともと人間の脳にプログラムされている動物としての原始的行動パターンが突然現れた結果であるという説もあります。(ジュディス・ラパポート)

5. スキーマの問題

スキーマとは、たとえば時折行くレストランへ食事に行こうと意図しただけで、

  • 1. レストランまでの道順
  • 2. 入り口の位置
  • 3. メニューの見方
  • 4. 注文方法
  • 5. 勘定の払い方

などと、一連の必要な知識がまとまって浮かび上がってきます。こういった情報や知識はバラバラに存在しているのではなく、一連の塊として蓄えられています。この塊のことをスキーマといいます。いろんな場面に対応して記憶の中に蓄えられている行為の「あらすじ」「台本」みたいなものです。スキーマは経験を重ねることにより、その出来事に共通する部分が抽出され関連付けられ形成されます。人間が何かしらの行為を行うに当たって、関連する情報を効率的に処理し、適切な行動をすばやくとることができるのはこのスキーマのおかげなのです。

スキーマは大変効率的かつすばやい適応ではありますが、反面無意識的な操作であるため、いくらかの問題を持っています。

  • 同じ失敗や間違いを何度注意されても繰り返す
  • いつも同じ交差点で道を間違えてしまう

これなどはまさにスキーマの問題だと考えられます。それは一連の情報の塊のどこかに、誤った、あるいは不適切な情報が蓄えられていると考えられます。

アディクション問題は、決して病理ではなく行動の不適応ですので、薬物療法などは効 スキーマの修正に当たり、「本質的な欲求が固有の認識を生む」という視点から鑑みた嗜癖者の傾向は果を持ちません。この問題を修正するために必要なアプローチはスキーマの修正であり、そのためには認知の変容という過程を経て、最終的に習慣(それも悪い)を改善することが重要となります。

  • 1. 自分にのみ都合のよい欲求が強い
  • 2. その偏った欲求により認識(スキーマ)の幅が狭い
  • 3. それは視野の狭さ、選択肢の少なさに等しく(=独善的等)
  • 4. 言い換えれば霊的不健康状態(Spiritual Careを参照)にある

などと言えるでしょう。ただ、この本質的欲求は、当事者個人によってのみ形成された問題とは考えにくいと思います。

上記「2.依存症」でもふれましたが、アディクション問題は当事者ばかりでなく、それを周囲(特に家族)が支えているということこそ問題であり、そのため スキーマの修正を行う必要があるのは当事者ばかりでなく、その家族全体のスキーマを修正する必要があります。そのためには、アディクション問題にかかわっ ている家族全体の価値観を大きく転換させ、「自己決定原理」(=自分のことは自分で決定し、その責任も自分のみが負う)という気づきの獲得を目指します。 問題当事者のスキーマももちろん修正が必要ですが、それだけでは家族独自のスキーマ(掟といってもよい)の変容にはいたらず、その家族問題の根源は残ったままになる可能性は否定できないでしょう。

(参考文献:『現代社会の産業心理学』 向井希宏・蓮花一己 編著 福村出版)


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