解決支援者の現場日記 : 旧ブログ
矛盾の中の統一
今"家族"というものが、その本来の機能をはたしえなくなってきている
ようです。子どもたちの問題を考える時、先ず「受容」するということが
大切になって参ります。「受容」というのは、受け入れることと、引き受
けることです。つまり、目の前の現状をありのままに受け入れ、両目で
しっかり見て、そらさないということです。しかも見るのは、深く"観る"。
観察、洞察するということです。そして、我が子を通した"自分自身の
問題"として、自己の責任として引き受ける。無益な犯人探しに時を
費やすのではなく、互いが「問題解決の主体者は自分である」という
意識をしっかりともつということです。
長期の引きこもりのご家族のご相談を受けておりますと、長期化する
要因が見えて参ります。大きな要因としては、子どもの問題を通して、
家族の問題、自身の生き方の問題に行き当たるからです。
夫婦の問題、嫁姑の問題、親自身の生い立ちの問題、親の立場を
離れた個人としての生き方の問題などに向き合うことへの恐れが、
現状を「受容」することを阻んでしまいます。それは、それぞれが穏
やかな安寧な暮らしを望んでいるからでもあります。その問題に向
き合うことが、一時暮らしの中にゆらぎが起こることへの不安があ
るからです。しかし、ここで認識しておくことが必要なことがあります。
それは、今まさに目の前にあるわが子の不登校、引きこもり自体が、
家族それぞれが、その穏やかで安らげる安寧な暮らしを求めた経過
の中で、生じた"ぬくもりの争奪戦"の爪痕だということです。
問題に向き合うことでの一時のゆらぎは、まさに"一時"のことであり、
親と子が互いに現状を「受容」できるようになることで、共に求めた
安寧な暮らしが実現できるでしょう