解決支援者の現場日記 : 旧ブログ
ありのままを認めてほしい
私の講演の参加者の方の感想に多いのは、「もっと早く聞いておきたかった」
「わが家も人事ではない」といったものです。それは、不登校、引きこもりは、
特別な家庭で起こるものではなく、どこの家庭でも充分起こりうるということを
実例を通してお伝えしているからです。。なぜなら、今の家庭は子どもたちに
とって、安全な場所でありえず、また人格形成の範となるべく対象の不在が
生じているからです。自己同一化を仕損じ、極めて不安定な自己像をあらわ
しています。そのために過剰なまでに周囲の評価を気にし、見捨てられること
への怖れの感情を強くもっています。安全な場所ではないということは、"あり
のままの自分"をそのままでは受け入れられず、親の期待、要求にそえなけ
れば、愛情をもらえないといった〈条件つきの愛情〉の侵入の危険にさらされ
ているということなのです。私たち親は、本来の子どもの人格、存在を敬って
いるでしょうか。「愛して敬せざれば、是を獣畜する也」という言葉もあります。
両親が夫婦として互いに敬い、親が子を敬愛すれば、自然子どもたちは、
親を尊敬する子に育つでしょう。また他人への共感を示すことの出来る人間
に成長していくでしょう。いま社会から遁れ身を隠す子どもたちは、自己の
尊厳性を脅かされ、他を思いやれぬ、自尊心の欠落した状況にあります。
気づかない内に子どもたちの求めを否定し、無視してきた親たちに対し、
象徴的な態度、行為(不登校・引きこもり・暴力・非行など)によって、子ども
たちはシグナルを送ってきます。そのシグナルを読み取ることこそが、親が
親であり続けられる唯一の手だてとなるのでしょう。