解決支援者の現場日記 : 旧ブログ
ニートに思う
ニートという現象を考えたときに、役割認識の欠如ということがひとつの視点として
浮かび上がってきます。道徳性心理学の分野で、『役割取得能力』『社会的視点
取得能力』と言っているものがあります。これはそれぞれ、相手の立場に立って
考える能力、自他の欲求や考えを理解し、それらを関係づける能力のことです。
特に相手の立場に立って考えるという行為は、「思いやり」とも言えます。
自分の役割を全うし、相手の役割を手助けできることが、"お役に立つ"ということ
です。よく「人様に迷惑をかけない子に」ということを聞きますが、迷惑をかけさえ
しなければそれでよいのでしょうか。さらに一歩進んで、役に立つようにと何故
もっと積極的に考えられないのでしょうか。お役に立てるようにという教育が親から
与えられていないために、「思いやり」のない子供達が増えてきています。
「家庭は社会の縮図」とは言い古された感がありますが、家庭の中で、なんら
役割(家事労働)を与えられず育った子どもたちは、役割を担う(役に立つ)ことで
の充実感も体験せぬまま、自分の存在の確証を得られず、社会への参加を拒む
のでしょう。親から子へ「ありがとう」という機会は、何かをしてもらうことでしか作り
出せません。「ありがとう」の言葉は、相手の存在への絶対肯定の言葉です。
「ありがとう」のシャワーを浴びた子どもたちは、健全なアイデンティティ(自己存在
意義)を構築でき、自己開示、自己表現が出来るように育ちます。
お母さん、お父さん、最後に「ありがとう」を言ったのはいつですか?