解決支援者の現場日記 : 旧ブログ
ひきこもり20年の当事者の生の声④
ひきこもり現在進行形の青年の手記最終です。
引きこもり後半は基本的に頭の中が、ボーっとしているような状態が続いていました。
父方のおじいちゃん、おばあちゃんが亡くなり、母方のおじいちゃんとおじさんが亡くなった
時(当然葬儀には出てません)も、両親が癌になった時も何も考えず、自分とは関係ない所で
起きている事の様な感覚でした。多分感情(喜怒哀楽)も顔の表情も無くなっていたでしょう。
もう如何でもいいと思っていた割には、潔癖症は相変わらずでした・・・。
でも母方のおばあちゃんが倒れた時、現実に引き戻されたように思います。
特におばあちゃんは優しかったと思います。
十代後半辺りには家で顔を会わせる事も無くなっていました。こんなのが孫ですからね、顔
見せなんかできません。見舞いも行く事も無く今に至ります。
自分の周りで、少なからず関係のあった人たちが段々亡くなって行く。
何時か自分が一人になってしまった時の事を考える際になった時、本気で死を意識し出した
のかも知れません。そういうことを考えると更に動けなくなって行きました。
(中 略)
〔楽に・確実に・簡単に〕そんな事ばかり考え、ほんと生きる事よりも死ぬ事に一生懸命でし
た。外出する時には、玄関の前で息苦しくなり出て行くのに、ドアの前で深呼吸をして勢い
をつけないと、外に出れなくなっていました。外に出ても妄想・思い込みが出て、周りの人間
が敵に見える・感じる様に、自分だけが孤立しているような感覚になる、そんな感じがして体
が固まってしまう、何度もそういう感覚に襲われて自分の中の感覚が、変になって行ったよ
うに思います。
ニュースで引きこもりの人と思われる人が、親を殺したり、逆に殺されたりする事件を目に
する事があります。自分自身も頭の中で、親を殺したり、逆に殺されることを考えてしまって
いました。
外でもおかしな感じで、家から店、店から店までの記憶が抜けてたり、冬の夜寒い中何を
する訳でも無く、ボーっと突っ立っていた事も有りました。
そのうち頭の中は、常に霧がかかっているような状態になって、思考が鈍くなります。
説明するのが難しいのですが、血液検査でサラサラした血液と、ドロドロした血液があれば、
自分の頭の中はドロドロの状態で、自分に話しかけられても、自分のことととれない、他人事
のような感じがして、自分が自分でないような感覚でした。
しまいには、何も可笑しい事も無いのに笑えて来たり、外で仲の良さそうな家族連れを見て、
微笑ましく思えたりしたのに、次の日には酷く憎らしく「何お前らは笑っているんだよ」と敵意
丸出しで思ってしまっている自分がいました。
今となっては、「馬鹿じゃねえの」と思いますが、この時は、もしもの為に死に場所を探しに、
近くの山に登ったりしていました(笑)。
首吊りの予定でしたが、実際登ると首が吊れそうな木が無い!そのうち死ぬのも面倒にな
ってしまいまた何も考えない様にしていきました。
もう死にたいというよりも、消えてしまいたいという感じになっていました。
ボーっとする状態は、今も何故か寒い時期になると、こんな感じになる事も有ります。
身内の冠婚葬祭に出席しないケースはよくあります。
ひとつは、現状のことを根掘り葉掘り聞かれることがいやだからです。
下手すれば、説教だってされかねません。
この青年も「こんな孫ですからね」と言っているように、恥辱感から到底顔向けが出来ないという
ことです。
父親の定年や両親のどちらかの死などがあれば、さすがに動き出すだろうとっいった考えも多く
聞かれますが、現実はあまり期待できません。
東日本大震災の折、津波から逃げなかったひきこもり当事者もいたぐらいです。
30代となれば、多くが父親は定年を迎えています。
ですが、その多くが定年前から ひきこもっています。
現状認識、現実検討が困難な状態にありますから、人ごとのようにしか取れなくなってしまって
います。
母子家庭で、10年ほどひきこもっていて、母親は体に障害をもっているにも関わらず、「母は心配性
ですから、私は何も悩みはないので、母をカウンセリングしてあげてください」と言った30代の国立
大学出の青年もいました。
青年たちが「死」を口にする時、それは「存在を消し去りたい」といった気持ちを表していることが多い
ようです。
「死」そのものを望んでいるというよりも、今の存在を消して、別の存在になりたいということです。
いじめ自殺が頻発した時に、今時の子どもの死生観などが報道されていたことがあります。
「死」を考えるのは、苦しみから逃れ、一度死んで次にいい境遇に生まれ直したい(再生)ということ
が言われていました。
「死」そのものは、未知の領域ですから、あくまでも自分が想像するものであって、食べたことがない
ものを「おいしいから食べたい」と思わないのと同じで、経験していない「死」を望むのではなく、“今”
をリセットとして、白紙に戻したいということです。
「社会へ入るためには、過去の記憶が全て無くなるか、別の人格にならない限り無理だ」と言った
青年もいました。
目的は、リセット(特に失敗体験による傷つきの)です。
ですから、死を願ったからといって、すぐにそうするわけではありません。
未知の「死」に向かうことは勇気のいることですし、死ぬための痛みは恐怖でもありますから、それが
抑止となります。
毎日毎日「くだらねー・糞つまんねー」が口癖の様になっています。
周りの人は一体何が楽しくて生きているのでしょうか?
毎日しらけた感覚しか無いような気がします。
やっぱり俺、自分も含めて人間があまり好きじゃないみたいです。
生きていくことに意味を見出せなければ、生きていく意欲もわきません。
青年が最後に記した「自分も含めて」好きじゃないと述べている、ここに約20年間のこの青年の
生き方を招いてしまった本質が表されていると思います。
「人間があまり好きじゃない」というのは、20年間がこうさせたでしょうし、こうでも思わなければ
辛いからでしょう。
人の温もりを期待し求めれば、それが得られない現実が恨めしくなります。
「人間が好きじゃない」と自分に言い聞かせ、いっそ求めない方が少しでも傷つかないですみます。
この青年は、中一ギャップが原因と始めに書いてありましたね。
急激な環境変化に適応できず、その後20年間、今もなおひきこもり生活から脱することができない
原因がそれだけだと思いますか?
そもそも環境変化に適応できなかったのは何故か?
「自分が好きじゃない」というのが、その答えです。
自分を肯定できなければ、自分を大切に出来ませんし、雑に扱います。
自分の価値を見出せませんので、誰からも必要とされないと感じるでしょう。
誰からも関心をもってもらえず、自分を待ってくれている人がいないと感じる人間が、苦労をしながら
生きていくことに意味を見出せるでしょうか?
「周りの人は一体何が楽しくて生きているのでしょうか?」
生きていくことへの意味を見出せなければ、 充実した楽しい日々を過ごしている人間の感覚は、
到底想像もつかぬことだと思います。
痛みから回避する生き方を選んでしまうと、人生の味わいも感じられなくなります。
そうすると、
「くだらねー・糞つまんねー」
といった言葉しか出てこなくなるのは、言わずもがなです。
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