解決支援者の現場日記 : 旧ブログ
家族にできること
「本人がやる気にならないかぎりは・・・」
この言葉は、よく聞かれる言葉です。この後には「どうしようもない」と続きます。
だから長期化するのです。
医療施設もあらかたの相談窓口も「本人を連れてこられなければ・・・」と答えにならない答が
なされているようです。
さて、本人が動けなければどうにもならないのでしょうか?そうであれば、不登校、ひきこもり
はあきらめるしかありませんね。えっ? 「だからあきらめている」ですって。(苦笑い)
まぁ、ちょっと聞いてください。あきらめるのはいつでもできます。
「親が動かなきゃ!」とはっぱをかけられる場合もあります。でもどう動けばいいのか分からない
から留まってしまっているのですよね。
親が動かなきゃというよりも、親自身が当事者であるという自覚。問題の中心という自覚が
必要なのです。つまり、本人をどうにか動かすというよりも、本人よりも何よりも親自身が、
自分の問題改善のために動かざるを得ないということです。
ひきこもりは(不登校の一部も含む)、「個」の問題ではなく、「族」の問題です。
ちなみに戦争や環境破壊は「類」の問題ですね。
「族」の問題というのは、「民族」ではなく、「家族」「一族」の問題ということです。
ですから、家(族)単位で考えることが必要なのです。
「わが家」というくくりでながめた時、本人がかかえている本質的な苦悩が見えてきます。
ジェームズ・アレンの言葉にこういうものがあります。
『人間は、自分の置かれた状況を、より良くしたいと望むが、自分自身を、より良くしよう
とはしない。そのため、かれらは、一生古い自分に束縛されたままである』
環境は自分をありありと映し出す鏡です。
人が環境を作り、環境は人に影響を与えます。
自らが環境の主体者であり、その状況における当事者、責任者という気づきと自覚が、
新しい自分へ変われるターニングポイントになるのです。