アダルトチルドレンからの回復~私は私でありたい : 旧ブログ
自分が自分の創造主
「自分を考える」の記事に投稿してくださった“いちゃもん”さんの言葉に
「自分も自分の創造主」とありました。
まさにその通りだと思います。
私の好きな釈尊の言葉に下記のようなものがあります。
『おのれこそ おのれのよるべ おのれを措きて 誰によるべぞ
よくととのえし おのれにこそ まことえがたき よるべをぞ獲ん』
(友松圓諦訳)
自分を措いて誰が自分の救い手となることができるか。自分こそ自分の救い手
である。といった意味です。
釈尊は、死にゆく間際、嘆き悲しみ慟哭する弟子に、「自分自身に燈火を抱いて
自分の足元を、自分のゆく手を照らし、輝かせなさい」という意味でこのメッセー
ジを残されたそうです。
よく整えられた自己こそが、自分のよるべ(救い手)となるのですから、自分を
見失わないことが大切です。
よく青年たちから「人からどう思われているか、いやがられていないか心配です」
と聞かされます。
その時私が彼らに尋ねることは、「どう思われたいの?」です。
その問いかけにほとんど具体的なことは返ってきません。
せいぜい「普通に思われたい」です。
どういう人だと思われたいのかが、自分の中でまとめられていないのです。
これが自分を見失っている状態です。
自分が誕生した家、家族、両親を自分という生命を活かすための必要条件と
考えてみましょう。
自分の健全な成長をにとって障害となる環境であっても、そこでの痛みを知る、
体験することが、自分の存在価値を高める。自身の役割を活かすために必要な
ことなんだと。
失うものがあってこそ、得られるものがあります。
得られないものがあってこそ、その価値に気づくことができます。
人格形成はすべて親によってなされるものではありません。
環境や体験、親以外の他者との関わりなどによっても、大きな影響を受けます。
両親との間で満たされなかったものがあればこそ、外の世界にあるものに気づけ
ます。
親の世界観やわが家の常識は、とても狭いものです。
私たちは、どこかで親の言い分をそのまま信じてしまっているところがあります。
何の疑いも挟まず、自分への否定観までをも信じてしまっていませんか?
よるべとできる自分を作るためには、自身の心に刻まれているものを観察する
自己の眼で、整理整頓する必要があります。
誤った自己像は葬り去り、本来の燈明をともしてください。
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