アダルトチルドレンからの回復~私は私でありたい : 旧ブログ
不安と恐怖を超えて
私たちの行動を妨げるものに、不安や恐怖といったものがあります。
これらの苦悩は、多くは痛みを伴います。
であるからこそ、その苦痛から逃れるために、私たちはあらゆる手段を使います。
現実逃避である「否認」が最も手短にとられる手段でしょう。
また、「怒り」というエネルギーに変えて、痛みを麻痺させることもします。
抑うつ的になり、あたかも仮死状態で死んだフリというのもあるでしょう。
いずれも、紛らわしであり、それで痛みが消えるわけではありません。
かえって、心の奥底に沈殿し、たまった水のように腐敗し、悪臭を放ってきます。
その悪臭は、歪んだ想念となり、心身を蝕みます。
ある時期(主に幼年期)、感情を表出することが自身に危険を及ぼす環境にあった場合、成人
してもなお、感情を押し込めることを身につけてしまっています。
涙を見せれば、「泣くなっ!」
笑えば、「うるさい!」
怒れば、「なんだその態度は!」
というような環境の中にあっては、感情を不要なものとして切り捨ててしまうのです。
押し込められた感情のひび割れから、不安、恐怖が吹き出してきます。
不安、恐怖を緩和していくためには、その対象を知る(見る)必要があります。
その正体を暴くのです。
その対象は、自分にとって脅威と感じられるものであったのでしょう。
自分に対して絶大な威力をもって、自分の中の何ものかを奪い、破壊したのです。
この奪われ、破壊されたものが何かが重要になってきます。
それををどうやったら守ることができるかを考えてみましょう。
未成熟な子ども時代には、守ることができなかったものでも、今のあなたであれば守る手立
てがきっとあるはずです。
過去に失ったものを再度手に入れる力も、今は持っているのですから。