アダルトチルドレンからの回復~私は私でありたい : 旧ブログ

ある風景から

先日郵便局へ行った際の出来事です。

3、4才の女の子と若いお母さんが私の横に座っていました。女の子が局内の書棚から絵本

を持ってきました。

 

 

それは○○レンジャーとかのヒーローものの絵本でした。

それを見るなりそのお母さんは、「何でこんなものを持ってくるの!あなたは女の子でしょう

男の子が見るものよ。おかしいでしょう。別のを持ってきなさい!」と注意(?)していました。

 

 

このお母さんの言葉の中には「女の子らしく」というのが幾度か出ていました。

このお母さんは、何を育てたいと思っているのでしょう。

女の子は、「レンジャーが読みたいのに・・・」と残念そうな顔と、「何故?」というような顔をして

いました。無理もありません。

  

 

こういった風景はよくあることだと思います。

でもこの言動、親の価値観が子どもの個性を潰してしまうのです

 

 

「女の子らしさ」って何でしょう。

きっとこのお母さん自身、親からそう躾けられてきたのでしょう。

 

 

私が関わっている青年たちに「なぜ人の目が怖い?」と尋ねると、

僕のことを変だと思われるからです

なぜ変なの?

他の人と違うからです

というのが返ってきます。

 

 

でも、その根拠を尋ねても具体的なものがあるわけではありません。

きっと変なんだ」といったものです。

私が「では、どんな人になりたい?」と尋ねると、

普通になりたい」と答えます。

 

 

こういった答えが返ってくる原因にあるのが、誤った“らしさ”の強要です。

それは同時に個性の否定につながります。

 

 

青年たちが口にする“普通”というものは、非常に不鮮明であやふやなものです。

何を普通とするのかは、時代や地域や環境や人によって違います。

具体的に「こうなりたい!」というものが言えないことが、人の目に自分をさらすことができな

い本質的な原因なのです。

 

 

彼らは、世間や親、周囲の大人たちから、ぶなんな“らしさ”を押しつけられ、個性の自覚が

できなくなってしまっています

 

 

「どうして変なの?」という問いかけに、

ひきこもりだからです」と答える青年も少なくありません。

僕は何も経験してきていない。ひきこもりしかない。からっぽです

これは、ひきこもりを個性、自身のアイデンティティにしてしまっているケースです。

 

 

自分で言わないかぎり、誰も見た目でひきこもっていたことなど、分かりません。

しかし、自身がそれをアイデンティテイとしてしまった場合、語らずとも周囲の人間は気づいて

しまうと思い込んでしまうのです

 

 

人は違っていいんです。

違うからこそ、その人の存在意義があるんです。魅力があるんです。

違いの否定は差別意識にもつながります

子どもたちがネットの中で、匿名の顔を隠した誹謗中傷のいじめを行っているのは、個性を

否定した育て方をしたツケが回ってきているようにも思えます。

 

 

先の母親の声が、公共の場であまりにも大きいので、私はそっとその場を離れた次第です。

大人らしさがこの母親には必要だったようです。


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