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解決支援者の現場日記 : 旧ブログ 教育: 2008年5月

骨抜きの日本人

先日熊本の実家で読んだ地元新聞の中で、北山忍教授(ミシガン大)が「危うい

日本人の精神構造」と題して論評していました。

要旨は、農耕文化の日本では、共同体の協調という美徳と習慣によって、人間

関係の中で自分を見つけ、社会の期待に沿うことで生きがいを見いだし仲間と

接することで自己研鑽に励むといった深層心理がある。一方で、西洋の個人

主義を自分なりに理解し、自律した自己を実現するためには、他者との関係

を否定すればいいという図式が定着し、「魂の呼吸不全」に陥ってしまってい

る。解決策は一つ。風通しのよい、個人の尊厳を尊重する関係の在り方を、

家族、職場、学校、地域社会そして国を挙げてつくりあげることに尽きる。

大枠共感できる内容ではありますが、個人の"尊厳"そのものを今の日本人

がはたしてどれだけ認識できているのだろうかという思いがあります。ネット

社会の中で、裏サイト、殺人サイト等で、匿名による誹謗、中傷。誰にも分か

らなければ、誰からも見られていなければ何をやってもいいと言わんばかり

の状態です。「ウザイ」「キモイ」「死ね」と個人の尊厳を冒涜する言葉をなん

のためらいもなく発する。人間として、最も卑劣、卑怯な行為であることが

分かっていない。 

「自律」自らを律することが出来る者は、自分の倫理観、行動規範をしっか

りと持ち合わせています。「人でなし教育」により家族は機能不全をおこし、

魂は呼吸不全をおこしている日本人はどこへ向かっていくのでしょうか。


ありのままを認めてほしい

私の講演の参加者の方の感想に多いのは、「もっと早く聞いておきたかった」

「わが家も人事ではない」といったものです。それは、不登校、引きこもりは、

特別な家庭で起こるものではなく、どこの家庭でも充分起こりうるということを

実例を通してお伝えしているからです。。なぜなら、今の家庭は子どもたちに

とって、安全な場所でありえず、また人格形成の範となるべく対象の不在が

生じているからです。自己同一化を仕損じ、極めて不安定な自己像をあらわ

しています。そのために過剰なまでに周囲の評価を気にし、見捨てられること

への怖れの感情を強くもっています。安全な場所ではないということは、"あり

のままの自分"をそのままでは受け入れられず、親の期待、要求にそえなけ

れば、愛情をもらえないといった〈条件つきの愛情〉の侵入の危険にさらされ

ているということなのです。私たち親は、本来の子どもの人格、存在を敬って

いるでしょうか。「愛して敬せざれば、是を獣畜する也」という言葉もあります。

両親が夫婦として互いに敬い、親が子を敬愛すれば、自然子どもたちは、

親を尊敬する子に育つでしょう。また他人への共感を示すことの出来る人間

に成長していくでしょう。いま社会から遁れ身を隠す子どもたちは、自己の

尊厳性を脅かされ、他を思いやれぬ、自尊心の欠落した状況にあります。

気づかない内に子どもたちの求めを否定し、無視してきた親たちに対し、

象徴的な態度、行為(不登校・引きこもり・暴力・非行など)によって、子ども

たちはシグナルを送ってきます。そのシグナルを読み取ることこそが、親が

親であり続けられる唯一の手だてとなるのでしょう。


ニートに思う

ニートという現象を考えたときに、役割認識の欠如ということがひとつの視点として

浮かび上がってきます。道徳性心理学の分野で、『役割取得能力』『社会的視点

取得能力』と言っているものがあります。これはそれぞれ、相手の立場に立って

考える能力、自他の欲求や考えを理解し、それらを関係づける能力のことです。

特に相手の立場に立って考えるという行為は、「思いやり」とも言えます。

自分の役割を全うし、相手の役割を手助けできることが、"お役に立つ"ということ

です。よく「人様に迷惑をかけない子に」ということを聞きますが、迷惑をかけさえ

しなければそれでよいのでしょうか。さらに一歩進んで、役に立つようにと何故

もっと積極的に考えられないのでしょうか。お役に立てるようにという教育が親から

与えられていないために、「思いやり」のない子供達が増えてきています。

「家庭は社会の縮図」とは言い古された感がありますが、家庭の中で、なんら

役割(家事労働)を与えられず育った子どもたちは、役割を担う(役に立つ)ことで

の充実感も体験せぬまま、自分の存在の確証を得られず、社会への参加を拒む

のでしょう。親から子へ「ありがとう」という機会は、何かをしてもらうことでしか作り

出せません。「ありがとう」の言葉は、相手の存在への絶対肯定の言葉です。

「ありがとう」のシャワーを浴びた子どもたちは、健全なアイデンティティ(自己存在

意義)を構築でき、自己開示、自己表現が出来るように育ちます。

お母さん、お父さん、最後に「ありがとう」を言ったのはいつですか?


精神医療からのひきこもり対策

あるひきこもり親の会主催の講演会に参加してきました。講師が精神科医だけに話の内容は、社会不安障害、パーソナリティー障害、統合失調症、適応障害などの病理性をもったひきこもりのケースの臨床例、WAIS-Ⅲの診断例でした。結果としてのこれらから生じる症状に対しての分析がありましたが、講演が終わって質問の最初が、「それでどうすればいいのでしょうか?」といったものでした。
まさに今ひきこもっているわが子に対して、その状態(症状?)から「病気なんです」と言われても、病識の無いわが子を精神病院に連れていくことは出来ません。結局は長期化を進行させる結果となります。仮に病理があったとしてもそこに行き着いた環境因としての親のそれまでの関わり方に言及して頂ければ、親が動くことでの改善法が見えていたかと思います。「原因は病気」ととらえれば治すには医者、薬としか手立てを考えませんので、結果親は動きません。「不登校」に関し、学校に行っていないことを問題視してはや30年以上。その視点から抜け出せず未だ減少の気配さえ見えず。ひきこもり問題も今の視点では、改善されることは残念ながらないでしょう。


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