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アダルトチルドレンからの回復
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家族問題: 2011年4月
アダルトチルドレンの処方箋~ありたい姿⑤
ACの状態にある人たちは、自分の存在に確信を得られずに育っています。
ありのままの自分を承認されることが少なかった彼らは、自己の内部に自分を
評価する基準を持ちえず、自律的な行動が取れなくなってしまっています。
そのため他者評価に過剰に依存し、周囲から承認されているかどうかが、
自己存在価値の自覚の唯一の手がかりとなっています。
ですから、他者との衝突を極力避けるために、自分を主張しようとしません。
何らかの意思表示をし、それが他者に受け入れられないのが怖いからです。
また、自己主張ができないでいるのは、そもそも自分の判断、決定に自信が
ないといった理由もあります。
先に述べたように、自分の内部に判断基準を持ちあわせていないために、主張
する内容が適切であるのかの判断にも迷い、また、相手から拒否された場合に、
自分を支えきれないのです。
彼らは、独自な存在である“個”としての自分に確信をもてないので、周囲との
関係性によりすがろうとします。
そうすると、常に他者の目(評価)に過剰になり、
「嫌われていないだろうか」
「変に思われていないだろうか」
「笑われていないだろうか」
というように、絶えず怯え、周囲とは異なる自分なりの意見も出さなくなります。
好まぬ要求がきても、「NO」も言えないのです。
最近の若者たちは、「ムカつく」という言葉をよく使いますが、教育学者の
斎藤孝氏は、「ムカつくは、基本的にその当人や事物に怒りを向けられ
なかった時、その後に使う言葉」だと述べています。
つまり、相手に対して、適正な意思表示をできないでいるのです。
「伝えて反感かうくらいなら、言わないでいよう」という具合です。
傷つけたくもないし、傷つきたくもないからです。
私がかねて彼らに接していても感じるのは、意見の食い違いが、即、争い、
傷つけあいになると思い込んでいるふしがあります。
こういった思い込みの背景には、幼い頃から家庭内で、両親間の口争いを頻繁に
見せつけられていたといったことも少なくありません。
こうなると、到底集団生活は困難なものとなります。
それまでの交友関係の範囲でしか人と関われなくなり、就職などを機に、新たな
人間関係を構築していかなければならない場面で、立ち止まってしまうのです。
やがて、既存の友人との交流さえも避けるようになり、家族という血縁関係の中
だけでしか、自分の存在を確認できなくなり、ひきこもったりもするのです。
先ほどの「ムカつく」とあわせ「キモイ」といった言葉もよく聞かれますが、これらは、
いずれも喜怒哀楽といった感情的なものというより、快、不快の感覚的な表現
です。
あくまでも自分自身の内側から発する個人的な感覚です。
今の若者たちには、他者と自分との比較の中で、違いを認識し、独自性を自覚
していく視点が不足しているように感じます。
違いそのものを否定的に見ている傾向もあります。
「一緒でないといけない」といったように。
このあたりに関しては、親や大人たちがそうした認識を植えつけているようでも
あります。
教育の現場でも、個性の尊重と言いながら、実際やっていることは、横並び、
同列化です。
ご紹介してきている人間主義心理学のマズローは、自己実現している人は、
躊躇することなく孤高を保つことができると述べています。
他人が自己と見解の一致が見られるか否かを問わず、自身が能動的で責任ある
自己決断の主体であるがゆえに、相手の人格を尊重でき、他人があえて自分の
考えに同調したり賛成したりすることを求めないし、同様に自分が不本意に他人
に同調することもしない。
このようになるためには、持続性や安定性に欠けた感覚的なものをよりどころと
するのではなく、社会的な関わりあいの中での客観性をもった自己認識が必要
です。
一貫性をもったアイデンティティが未構築であるACの人たちは、強迫的に群れ
ようとするあまり、ちよっとした否定、反発にも過敏になり、自分が疎外されたと
思い込み、立ちすくみ、閉じこもってしまうのです。
こうした背景にあるものが、アタッチメント・トラウマ(愛着欲求の欠乏)であり、
承認欲求の渇望は、人格の統合性を妨げ、集団の中での立ちいち、居場所を
得られなくしてしまうのです。
ですから、ACの人たちがあたかも人との関わりを避けているように見えるのは、
なにも孤独を好んでいるのではなく、孤独を過度に恐れた結果、孤立してしまった
というわけです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2011年4月21日 12:32
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