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家族問題: 2010年1月
なんとなく
皆さんは、かねての生活の中で、なんとなくそう感じるというものはないでしょうか。
さしたる理由があるわけではないのですが、いつも決まってそう感じるものです。
これが「なんとなく出来るような気がする」「うまくいくような気がする」といった
ポジティブなものであればいいのですが、「なんとなくまたうまくいかないような
気がする」とか、「間違っているような気がする」といったネガティブなものですと、
生活の場でなにかと不都合が生じますので、そのままにはしておけません。
これらの思いは、無意識に刷り込まれたものであることがほとんどですので、
きちっと、その根拠を探りあげた方がよいのです。
例えば、失敗が許されないような環境がなかったでしょうか。
何かの失敗をするたびに、責任を追及されたり、または、嘲笑されたりすれば、
失敗への過度な怖れが身についてしまいます。
それに加え、「なにをやらせてもダメな子ねぇ」なんて言葉をあびせられようもん
なら、居てはいけない子ぐらいに自分を認識してしまいます。
失敗をすれば居場所がなくなると思えば、いかなる挑戦も避けようとします。
結果、変化を拒む生き方になってしまいます。
失敗はしない代わりに、何一つ達成感も味わえない、自堕落な生き方です。
ありのままでいられる環境があったでしょうか。
感情や欲求を表すことが自然に受け入れられたでしょうか。
自分の意見を出すことが、柔順でない聞き分けのよくない子だと決めつけられ
ませんでしたか。
自分に歯向かわれることへの抵抗力がない親の場合、反抗する子を「悪い子」
と表現します。
子どもの価値観を包み込めるほどの余裕がないのです。
自身の価値観が揺らいでしまいかねないからです。
ありのままを許されなかった場合、感じること、欲求を自覚することが出来なくなり、
他人の欲求を自身のものと錯覚し、他人の人生でしか生きられなくなります。
家庭の中で慢性的な緊張感はありませんでしたか。
例えば、父親が仕事から帰って来るなり、神経質に部屋の隅々まで目をやり、
片付けられていないことの文句を言ったり、食事中に説教が始まったり、両親間
や祖父母たちとの人間関係で、固定された緊張状態がなかったでしょうか。
抑圧する側とされる側、挑発する側とされる側。
閉ざされた狭い空間の中の人間関係からくる緊張の空気は、そこにいる住人
特に子どもたちを窒息させます。
呼吸不全の家庭で育った子どもたちは、社会の中の人間関係に家族を投影し、
健全な距離感を計れず、自分の立ち位置を見い出せず、パターン化された関わり
合いから脱することも出来ずに過ごします。
これらのことが、意識下に染み込み、特定の行動の反復を誘発します。
これが「なんとなく」のメカニズムです。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
https://www.interbrain.co.jp/course/empowerment/
AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
https://www.interbrain.co.jp/adultc/
NPO法人地球家族エコロジー協会付設心理教育カウンセリング・オフィス
ふぉーらむ北辰
福岡県大野城市つつじヶ丘6-4-21
https://www.interbrain.co.jp/hokushin/
(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年1月21日 20:59 | コメント(3)
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