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カウンセリング: 2010年12月
偶然で片付けてしまえば
皆さんは、かねて自分の身に降りかかることをどの様に受けとめておられるでしょうか。
偶然だと思いますか?
必然のことと思いますか?
例えば通りを歩いていて、猛スピードの自転車にあてられたとしましょう。
「ついてないや」とぼやきますか?
「不注意だったな」と反省しますか?
私たちは、そのことの原因が分かっていて、説明がつくことであれば必然の結果と捉え
られても、説明がつかないことであれば、“偶然”としてしまっていないでしょうか。
しかし、偶然ということを許せば、世の中何が起こっても不思議ではなくなります。
つまり、原因を認め(認識し)ないというわけですから、突然、朝起きたら性別が変わって
いてもおかしくないわけです。
これでは、おちおち眠れません(笑)。
「そんなわけないやろぉ~。チッチキチー!」と関西の漫才師が登場しそうですが、
偶然のことが世の中にはあると想定したら、そうなってしまいます。
ですから、すべての物事は、原因があり必然の結果として起こるという前提で向き
合えばいいのです。
そうすれば、必ず反省心が起きます。
「原因は何だったんだろう?」とね。
偶然と似たような感覚で、「運(つき)」というものがあります。
先ほどの自転車の例でも「ついてないや」とありましたが、「ついている」「ついて
いない」というのも、ほとんど偶然というニュアンスがありますね。
これもまた同じで、「運(つき)なんてものは、偶然なんだ」という前提であれば、宝くじ
のように、ただただ運が向いてくるのを待つしかありません。
運も必然なんだと考えてみてはどうでしょう。
つまり、運は自分のはたらきかけで、良くなっていくものだという前提に立つんです。
前回のブログで、「縁によって、同じ原因でも結果が違ってくる」という話をしました。
好運を引き寄せるということは、縁、廻りあわせを良くしていくということです。
人や機会とのより良い出会いが増えていくということです。
そのためには、原因を創る。
運をより良くしていく原因になるものはといいますと、先ほど述べた反省心からくる
謙虚さと、感謝の心です。
あたりまえのことも与えられた恵みと感謝できると、楽観的になれます。
『楽観的に生きる』も是非お読みください。
楽観的になると、明るくなります。
運を呼び込むためには、明るさが何よりです。
「笑う門には福来る」と申しますね。
また、ユング心理学で「シンクロニシティ」(意味のある偶然の一致)という概念が
あります。
虫の知らせや、写真を見て懐かしいなぁと思った本人から、突然電話が入るとかと
いった、出来すぎた偶然のことです。
こういった際も、「偶然はない。必然の結果」という前提に一旦立って、意味を自分で
付与すればいいんです。
例えば、就職の面接に行って、面接の担当の方が偶然(必然)出身校のOBだったこ
とでトントン拍子に入社が決まったとしたら、「守られている!」「自分は強運だ!」
「種を蒔いた(原因創り=行動)からこそ実った」「心が嗅ぎ分け、引き寄せた」と思い
込むんです。
こういう習慣をもつと、シンクロニシティが本当に増えていきます。
常に原因を振り返る。原因を創るという発想をもつと、たとえ失敗するようなことが
あっても、それをその後に活かすことができるようになり、偶然(と思われるものでも)を
望む結果を出すための必然に変えていくことが出来てきます。
あの失敗は、この成功のために必然的に起こったんだと。
そうなれば、失敗を恐れなくなりますから、勇気がわいてきます。
勇気がわけば、色んなことに挑戦します。
打席により多く立つ者が、得点をえるチャンス(好機)を手にするわけですから、挑戦
が多くなれば、自ずと運は良くなります。
運は、明るく暖かいところに好機を運びます。
楽観は明るく、勇気は熱を帯びているからこそ、運を呼び込むのです。
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こちらもどうぞ!
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年12月16日 19:36
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