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アダルトチルドレンからの回復
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人生: 2014年7月
アダルトチルドレンへの処方箋~主体性の欠如
受けたダメージが大きければ大きいほど、恨めしいものです(笑)。
そのためか、加害者である親に対して、何らかの報復をしたいと思ってしまいやすいようです。
気持ちは分からなくもないのですが、ただそのやり方が少々問題があるようです。
どういうやり方かといいますと、「目には目を!」です。
このやり方ですと、結局は非難、批判している親と同じことをやっているようなもので、
「親がどうだこうだ」と言える立場ではなくなります。
このことは意外と気づいておられないようです。
また、非難しながら、その親に相応しい子ども(自分)に自らなろうと努力(笑)しています。
これでは、親を手本としているのと同じです。
批判しているつもりが、見習っているわけです。
「愚かな親だから、その子である自分が自堕落な生き方をしていた方が相応しいんだ。
わが子がだらしない方が親が恥をかくし、嘆くはず」
と、してやったりといった表情で話してくれた青年がいましたが、どこへ向かっていき
たいのでしょうか。
「親が喜ぶことはしたくない」と言うのです。
自分が幸せになれば、親が喜び、親の思うつぼだから悔しいらしいのです。
わが子の幸福を喜ぶ親に何か問題があるのでしょうか?
自分が立派になれば、親の手柄にされてしまうとでも思っているのでしょう。
ここには主体性といったものが見えません。
自身の行動、生き方の基準が、常に親の感情、顔色です。
どこに主体としての自分があるのでしょうか。
親の操り人形のまま一生を過ごしたいですか?
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2014年7月20日 23:18
アダルトチルドレンへの処方箋~尊厳性の放棄
様々なことが考えられるでしょうが、ひとつには「主体性」ではないでしようか。
私たちは、自由意志というものをもっています。
あらゆる事象、環境、条件を自身にとってどのように受けとめるかがまったく
自由だということです。
この自由意志に基づき、常に自ら環境にはたらきかけ、自分が動き、周囲を
望む方向へ創り変えていく。
これが「主体性」です。
動物たちは、本能的な行動のみをとりますので、個体の行動の違いがあまり
見受けれません。
同じ状況下において、ほぼ等しく反応的な行動をとり、個体間に差がほとんど
ありません。
ところが私たち人は、失恋、ペットの死、受験不合格、思わぬハプニング等に
みまわれた時に、皆、それぞれ特有の反応を示します。
これは、それぞれの個体差によって、「対応」をしているからです。
「反応」は、条件反射的でパターン化していますが、「対応」はそれぞれの意志
により対処しているので、違いが出てくるわけです。
ですから、人を人あらしめているものが、この主体性です。
であれば、この主体性を放棄することはあってはならないですね。
がしかし、無意識のうちにこの主体性を放棄してしまっていることが少なくない
ようです。
主体性を放棄してしまっている状態とはどういう状態かと申しますと、
①自己反省がなく、責任転嫁ばかりしている。
②他者や環境に依存することが多い。人頼り。人まかせ。
③後ろ向きの不平不満ばかりが多く、グチ、ぼやきに終始し、自分から改善して
いく姿勢がない。
④現状への不足ばかりに意識が向き、すぐ逃げようとする。
⑤常に被害者意識が強く、やらされている感がぬぐえず、自己正当化ばかりを
考えている。
どうですか?
心当たりありませんか?
この主体性(人の尊厳性)を放棄した生き方が、何を招いてしまうかを次回から
述べてみましょう。
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福岡県大野城市つつじヶ丘6-4-21
https://www.interbrain.co.jp/hokushin/
(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2014年7月11日 18:29
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