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アダルトチルドレンからの回復
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不登校: 2009年5月
被害者意識と復讐心
私たちは、不可抗力的に外部から与えられた影響に対しては、とかく被害者意識をもちやす
いものです。
「させられた」
「やられた」
「傷つけられた」
などです。
その受けた被害、痛みが大きければ大きいほど、怒り、恨み、復讐心といったものが炎上
し、片時も忘れることができません。
つまり、常に囚われてしまっている状態です。
被害者であり、犠牲者の立場を自分から手放さない限り、怒りや恨みの過去の感情を繰り返
し、今に感じることとなります。
アダルトチルドレンの痛みは、過去の感情に今を支配されている痛みです。
許せる自分を作る、自分になるためには、「傷つけられた」を「傷ついた」に変えてみましょ
う。
傷つくことを選んだ、自分がそれを自分に対して許したととらえてみましょう。
犠牲者、被害者という意識のままだと、責任の主体が加害者であり、解決においてもまた、主
体が加害者側となってしまい、謝罪、償いという結論を加害者に預けてしまうことになります。
すんなりと謝罪、償いがあれば別ですが、それが得られないからこそ、許せないのでしょう。
変えられないもの(他者)に執着していると、怒りや恨みはおさまりません。
変えられないことを受け入れ、主体を自分(変えられるもの)に引き戻すことです。
そして過去の痛みを過去のものとして、過去に押し戻すのです。
許しは、自分の中から、怒りや恨みといった感情を放すことです。
相手にその意志を伝えることは、必ずしも必要なことではありません。
相手に「許します。謝罪はけっこうです」なんて言えなくてもいいんです。
まず言えませんから。
相手に何かを働きかけるのではなく、自分の中からその相手を放り出すのです。
そのために、感情の整理をしてみましょう。
(相手ではなく)何にに向けられた怒りなのか、なぜ恨むのか。
傷つくことを自分はなぜ自分に許してしまったのか。
傷つくことを最後まで拒まなかったのはなぜか。
自分は、今ここにいて、過去からの影響を受けてしまっている。
この悪影響を今の自分が、これからの成長のエネルギーに転換するのです。
恨み続けることの自分に与える有効性を考えてみてください。
何が得られますか?
同時に、恨みによって失うものを考えてみましょう。
きっと、傷つくことを自分に許してしまったのは、何かを気づきたかった、気づかなければなら
なかったものがあったのかも知れません。
もちろん、全くの抵抗力、免疫力の無い幼少期に受けた傷は、あなたがその責任を負う必要
はありません。
傷を受けた自分を否定することもありません。
それは自然なことだからです。
あなたが悪い子、無価値な子だから傷つけられたのではありません。
あなたを傷つけた相手は、あなたの価値に気づけなかった人間です。
自分が発した言葉や行為が、尊厳性をおとしめ、自由な感覚をふさぎ、自由な意思を縛り続
けることに気がつけなかった人間です。
あなたが寛容さをもって、その人間を心の中から放り出した時、許しが達成でき、自由な心を
取り戻せるでしょう。
それでこそ、犠牲者ではなく、人生においての主体者に成りうるのです。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
https://www.interbrain.co.jp/course/empowerment/
AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
https://www.interbrain.co.jp/adultc/
NPO法人地球家族エコロジー協会付設心理教育カウンセリング・オフィス
ふぉーらむ北辰
福岡県大野城市つつじヶ丘6-4-21
https://www.interbrain.co.jp/hokushin/
(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年5月19日 20:00 | コメント(1)
生き方の矛盾
「自己主張をしたくない」という青年が少なくありません。
自己主張をしない結果は、他者の思惑でしか行動できないことになります。
当然ストレスの多い生き方になります。
しかし、決してそれを望んでいるはずはありません。
ではなぜ、そうしてしまうのでしょう。
あなたは、かねての生活の中で自分が本当に避けようとしているものを突き詰めたことがあ
りますか?
なぜそれがいやなのか。
ある青年は自己主張を避けたい理由を「責任を負いたくないから」と話しました。
責任を負うという状態は、任せられる。それは認められているということでもあります。
自分に決定権があるということでもあります。
この青年は、周囲から認められることを望んでいないのでしょうか。
そんなんことはありません。
では、なぜ?
「自分ですべてを抱え込んでしまいそうだから」と言いました。
なぜ一人で抱え込むの?
「他人を信用していないから」
他人を信用できないために、すべてを自分で抱え込み、そのために負担が増えることを避け
ようとしているのです。
他者に任せられない理由で、自己主張を避ければ、周囲からあてにされなくなるか、逆にい
いようにこき使われる状況になるでしょう。
いずれも本人の望まぬ状態です。
人を信じられない理由には、過度に相手に期待してしまい、自分の期待通りの反応が相手か
ら返ってこなかった場合、裏切られたような気持ちになり、傷つく。
傷つきたくないから、人に期待せず、信用しない。
ということがあげられました。
つまり、この青年の場合、期待しすぎてしまう自分、抱え込んでしまう自分がいて、そのた
めに傷つくことを避けたいというのが、自己主張を妨げていた理由です。
この二つは矛盾しているようですが、期待しすぎてしまうというのは、何も相手を信用してとい
うことではなく、「こうあるべきだ」といった、いわば勝手な期待です。
「僕は君を友人と思っているから、君も僕を友人と思うべきだ」といったような期待の仕方で
す。
他人に任せきれないことも、いずれも自分のスタイルへの固執です。
他者の立場を尊重しきれていないところに、本質的な問題があります。
自我にこだわる傾向の強いパーソナリティーの人間が、自己主張を避けてしまうという、結果
的に自分の個性を殺してしまう生き方をしてしまっているのです。
こういったケースは、それまで自分の立場を尊重してもらえず、意見を汲み取ってもらえなか
ったり、真っ向から否定されることが多い環境にいた場合に多く見られます。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
https://www.interbrain.co.jp/course/empowerment/
AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年5月12日 21:28 | コメント(1)
失ったものから得られたもの
私たちの考え方には二つのものがあります。
人生を幸福にする考え方と人生を不幸にする考え方です。
あなたは、どちらを選びたいですか?
もちろん幸福にする考え方だと思います。
ところが、実際は不幸にする考え方を選択している場合が少なくありません。
人生を幸福にする考え方があれば、先ずはそのまま採用してみればいいんです。
愚直に、理屈を考えずにです。
もちろん「機が熟す」というように、その考え方をすぐに採用したからといって、自分が期待す
る結果がすぐに出るわけではありません。
その時期が来るまでは結果は出ません。
でも、見えないところで確実に結果へ向かって変化は起こっています。
でも、もし「そうは言っても」となかなか実行できなければ、それはどこかでその考え方に疑念
をもってしまっているのです。腑に落ちていないということです。
その場合、そのままではいつまでも実行できず、これまでと同じ失敗を延々繰り返します。
何度同じ痛い目にあったとしても、新たな考え方を採用することの方に不都合を感じている自
分がいるということです。
何が腑に落ちていないのかを徹底的に知る必要があります。
失敗体験や喪失体験が大きければ、大きいほど、そのことで失ったことのみに心が奪われ、
その代償の大きさに、これから先の未来に何の希望も持てなくなってしまいがちです。
「いまさら幸福になる考え方をしたからとてもう手遅れだ」と。
でも、ものごとにはすべて両面があります。
失ったものの中から、必ず得られるものがあるのです。
失ったものが大きければ、得るものもまた大きい。
過去の失敗から、その時に自分を不幸にしてしまうどういう考え方をしてしまったのか、どうい
う行動を取り、結果傷ついたのか。
なぜそういった考え方をしてしまったのかを自問自答するのです。
必ず理由があります。
自身の傾向、いや、偏向を自覚するのです。
お決まりの偏った、歪んだパターンが見えてきます。
それに気がつけば、得られるものはとても貴重な財産となります。
こうすれば不幸を招くということが分かれば、幸福になれる手立てが見えてくるのですから。
自分の失敗パターンに気づかぬままでいると、同質のトラウマを再び抱える状況を自らが
招き寄せるということを繰り返し続けます。
あたかも、自分が幸福になれない確信を得るための根拠を得んがためのようにです。
幸福を望みながら、幸福を突き放すのです。
幸福を突き放してしまいがちな傾向には、幸福観が深くかかわってきます。
つまり、何を幸福と感じるのか。
とかく、“感謝”の心性が少ない人ほど、幸福を感じる領域が極端に狭いものです。
ないものねだりで、今あるものに気づけません。
不満やグチが多くなり、実行する前から「どうせ無理」となってしまいます。
例えば、長期のひきこもりのために社会適応が困難になったことを、ひきこもりのせいにして
しまっている場合は、なかなか新しい自分を創れません。
大切なことは、なぜ別の方法ではなく、ひきこもるという行動をその時選択したかというこ
とです。
「ひきこもったのは自分の責任ではない」といった考えが少なくありません。
だから自分が動く必要はない。
原因を作ったものが責任を取るべきだと。
「ひきこもってしまったことが、これからの自分の道をふさいだ」と感じている者は、他者への
責任転嫁のみならず、過去の自分へ責任転嫁しているようなものです。
そうしてきた自分を恨めしく思い、過去を呪う。
どこまでいっても、今の自分が責任を取ろうとはしないのです。
自己責任というのは、自分の人生の主導権を握るということです。人生脚本の脚本家にな
れるということです。
他人に自分の人生をコントロールされたり、他人の人生を生きるということは、とても辛いこと
です。
責任転嫁は、自らの主体性を放棄し、他人の人生に取り込まれて生きていくことです。
それは大変不幸なことです。
人生には一切のムダがありません。
これも幸福になる考え方のひとつです。
傷が深ければ深いほど、痛みが強ければ強いほど、そこから得られるものは大きいのです。
痛い目にあわなければ気がつけないほど、知らない間に自分の人生を他人に預けてしまって
いたということです。
他人に預けている内は、幸福にはなれないのです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年5月 7日 23:14 | コメント(1)
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