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アダルトチルドレンからの回復
~私は私でありたい : 旧ブログ
トラウマ
14ページ目
生き方の矛盾
「自己主張をしたくない」という青年が少なくありません。
自己主張をしない結果は、他者の思惑でしか行動できないことになります。
当然ストレスの多い生き方になります。
しかし、決してそれを望んでいるはずはありません。
ではなぜ、そうしてしまうのでしょう。
あなたは、かねての生活の中で自分が本当に避けようとしているものを突き詰めたことがあ
りますか?
なぜそれがいやなのか。
ある青年は自己主張を避けたい理由を「責任を負いたくないから」と話しました。
責任を負うという状態は、任せられる。それは認められているということでもあります。
自分に決定権があるということでもあります。
この青年は、周囲から認められることを望んでいないのでしょうか。
そんなんことはありません。
では、なぜ?
「自分ですべてを抱え込んでしまいそうだから」と言いました。
なぜ一人で抱え込むの?
「他人を信用していないから」
他人を信用できないために、すべてを自分で抱え込み、そのために負担が増えることを避け
ようとしているのです。
他者に任せられない理由で、自己主張を避ければ、周囲からあてにされなくなるか、逆にい
いようにこき使われる状況になるでしょう。
いずれも本人の望まぬ状態です。
人を信じられない理由には、過度に相手に期待してしまい、自分の期待通りの反応が相手か
ら返ってこなかった場合、裏切られたような気持ちになり、傷つく。
傷つきたくないから、人に期待せず、信用しない。
ということがあげられました。
つまり、この青年の場合、期待しすぎてしまう自分、抱え込んでしまう自分がいて、そのた
めに傷つくことを避けたいというのが、自己主張を妨げていた理由です。
この二つは矛盾しているようですが、期待しすぎてしまうというのは、何も相手を信用してとい
うことではなく、「こうあるべきだ」といった、いわば勝手な期待です。
「僕は君を友人と思っているから、君も僕を友人と思うべきだ」といったような期待の仕方で
す。
他人に任せきれないことも、いずれも自分のスタイルへの固執です。
他者の立場を尊重しきれていないところに、本質的な問題があります。
自我にこだわる傾向の強いパーソナリティーの人間が、自己主張を避けてしまうという、結果
的に自分の個性を殺してしまう生き方をしてしまっているのです。
こういったケースは、それまで自分の立場を尊重してもらえず、意見を汲み取ってもらえなか
ったり、真っ向から否定されることが多い環境にいた場合に多く見られます。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
https://www.interbrain.co.jp/course/empowerment/
AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
https://www.interbrain.co.jp/adultc/
NPO法人地球家族エコロジー協会付設心理教育カウンセリング・オフィス
ふぉーらむ北辰
福岡県大野城市つつじヶ丘6-4-21
https://www.interbrain.co.jp/hokushin/
(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年5月12日 21:28 | コメント(1)
失ったものから得られたもの
私たちの考え方には二つのものがあります。
人生を幸福にする考え方と人生を不幸にする考え方です。
あなたは、どちらを選びたいですか?
もちろん幸福にする考え方だと思います。
ところが、実際は不幸にする考え方を選択している場合が少なくありません。
人生を幸福にする考え方があれば、先ずはそのまま採用してみればいいんです。
愚直に、理屈を考えずにです。
もちろん「機が熟す」というように、その考え方をすぐに採用したからといって、自分が期待す
る結果がすぐに出るわけではありません。
その時期が来るまでは結果は出ません。
でも、見えないところで確実に結果へ向かって変化は起こっています。
でも、もし「そうは言っても」となかなか実行できなければ、それはどこかでその考え方に疑念
をもってしまっているのです。腑に落ちていないということです。
その場合、そのままではいつまでも実行できず、これまでと同じ失敗を延々繰り返します。
何度同じ痛い目にあったとしても、新たな考え方を採用することの方に不都合を感じている自
分がいるということです。
何が腑に落ちていないのかを徹底的に知る必要があります。
失敗体験や喪失体験が大きければ、大きいほど、そのことで失ったことのみに心が奪われ、
その代償の大きさに、これから先の未来に何の希望も持てなくなってしまいがちです。
「いまさら幸福になる考え方をしたからとてもう手遅れだ」と。
でも、ものごとにはすべて両面があります。
失ったものの中から、必ず得られるものがあるのです。
失ったものが大きければ、得るものもまた大きい。
過去の失敗から、その時に自分を不幸にしてしまうどういう考え方をしてしまったのか、どうい
う行動を取り、結果傷ついたのか。
なぜそういった考え方をしてしまったのかを自問自答するのです。
必ず理由があります。
自身の傾向、いや、偏向を自覚するのです。
お決まりの偏った、歪んだパターンが見えてきます。
それに気がつけば、得られるものはとても貴重な財産となります。
こうすれば不幸を招くということが分かれば、幸福になれる手立てが見えてくるのですから。
自分の失敗パターンに気づかぬままでいると、同質のトラウマを再び抱える状況を自らが
招き寄せるということを繰り返し続けます。
あたかも、自分が幸福になれない確信を得るための根拠を得んがためのようにです。
幸福を望みながら、幸福を突き放すのです。
幸福を突き放してしまいがちな傾向には、幸福観が深くかかわってきます。
つまり、何を幸福と感じるのか。
とかく、“感謝”の心性が少ない人ほど、幸福を感じる領域が極端に狭いものです。
ないものねだりで、今あるものに気づけません。
不満やグチが多くなり、実行する前から「どうせ無理」となってしまいます。
例えば、長期のひきこもりのために社会適応が困難になったことを、ひきこもりのせいにして
しまっている場合は、なかなか新しい自分を創れません。
大切なことは、なぜ別の方法ではなく、ひきこもるという行動をその時選択したかというこ
とです。
「ひきこもったのは自分の責任ではない」といった考えが少なくありません。
だから自分が動く必要はない。
原因を作ったものが責任を取るべきだと。
「ひきこもってしまったことが、これからの自分の道をふさいだ」と感じている者は、他者への
責任転嫁のみならず、過去の自分へ責任転嫁しているようなものです。
そうしてきた自分を恨めしく思い、過去を呪う。
どこまでいっても、今の自分が責任を取ろうとはしないのです。
自己責任というのは、自分の人生の主導権を握るということです。人生脚本の脚本家にな
れるということです。
他人に自分の人生をコントロールされたり、他人の人生を生きるということは、とても辛いこと
です。
責任転嫁は、自らの主体性を放棄し、他人の人生に取り込まれて生きていくことです。
それは大変不幸なことです。
人生には一切のムダがありません。
これも幸福になる考え方のひとつです。
傷が深ければ深いほど、痛みが強ければ強いほど、そこから得られるものは大きいのです。
痛い目にあわなければ気がつけないほど、知らない間に自分の人生を他人に預けてしまって
いたということです。
他人に預けている内は、幸福にはなれないのです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年5月 7日 23:14 | コメント(1)
自己破壊からの離脱
かねて、ひきこもりを経験したAC(アダルトチルドレン)の青年たちと接していると、「普通にな
りたい」「普通になれればいい」といった声をよく聞きます。
この“普通”という表現がとても悲しく響きます。
普通でないというのは、小学校、中学校、高校、大学、社会人という道筋をあたりまえに通っ
てこなかったということです。
友だちがいて、彼女がいて、お酒を飲んで、カラオケ行ってと、誰もがそれこそ普通に経験し
てきたであろうことを自分が経験してきていないことを嘆きます。
確かに他者と、特に同世代と共有できるものが少ないという事実は、孤立感や疎外感を感じ
るでしょう。
しかし、何が普通で、何があたりまえなのでしょうか。
私が話を聞いていていつも感じるのは、この青年たちは、彼らが思う“普通”“あたりま
え”に、不登校やひきこもりになる前から、過度に自分をあてはめようとしていたのではない
かということです。
もちろん、先に述べたように、共有できなかったことから、それを強く求めるのであろうことは
分かります。
しかしそれでも、“普通”の求め方が違うのです。
中には、高校を中退し、通信制高校や定時制高校を卒業したことを強く否定的にとらえてい
る青年もいます。
自分が他より劣っている根拠にしているのです。
だいたいこういった場合、親がそのことを否定的にみてしまっていることが多いようです。
「大学ぐらい出ていなければ、ろくな大人になれない」と言われて育った青年が、大学を中退
し、その自分を徹底的に否定していたこともありました。
彼らはそれ以降、何に対しても挑戦することに怯えるようになってしまっています。
経験から学習したものが少ない理由からです。
過度な遅れ感から、心的負担が全て痛みに変わり、それはもう痛々しいかぎりです。
さながら、ワニに皮を剥がれた稲羽の白うさぎのようです。
騙されて海水で洗ったものですから、風が吹くだけでも激痛がはしります。
この状態から離脱するためには、視点の切り替えが必要です。
視点が変われば、新たな気づきを得られます。
視点の切り替えは、価値観の転換です。
何を“普通”“あたりまえ”とするのかも価値観によって変わってきます。
幸福感だって変わってきます。
最初に述べたような一般的な道筋を通ってこなかったら、不幸なのでしょうか?
人と違う人生では幸せになれないのでしょうか?
決してそんなことはありませんよね。
人もうらやむ贅沢な生活をしている人たちが、皆幸せでしょうか。
そうでない事例はいくらでもありますね。
それぞれの幸、不幸はそれぞれです。
「人生万事塞翁が馬」ということわざもあります。
何が自分にとって幸運になるか分かりません。
要は、価値観に柔軟性をもって、多様な視点をもつということです。
挑戦することへの怯えは、自己破壊的な生き方を選択してしまいます。
皮を剥がされたまま、真っ赤な体で風をよけ続けるのではなく、傷を治すことの方が先決で
す。風をよけるためには、身を潜めなければなりません。
身を潜めているだけでは、時間の経過とともに大きな代償を払わなければならなくなります。
自分が辛いと今思っていることが、本当にただただ辛い不幸な出来事なのか。
目の前の痛みを遠ざけることが、本当に自分を大切にしていることで、痛みを何も感じなくて
すむ生き方になるのか。
そもそも“痛み”はこの世に必要ないものなのか。
リストカットなどの自傷行為は、何ものかを得るための手段として行われます。
生きている実感を得たくて、傷つける人もいます。
ここでは“痛み”が必要になっています。傷みが生きている感覚を呼び覚ましてくれるのです。
しかし、それは自己破壊的な手段です。
得たいものは誤り無くても、手段が誤ってしまっています。
自己破壊的な手段の選択から離脱するためには、“豊かさ”を求める価値観への転換が有
効です。
豊かさは、恵みからもたらされます。
ですから、自分が遭遇するあらゆる出来事を恵みととらえるのです。
恵みということは、何かを得ることができるはずです。
つまり、何かを学べるということです。積極的につかみ取るのです。
学ぶ姿勢は、謙虚さを養います。
謙虚になれば、自分が孤独ではないことに気がつけます。
多くの支えがあることに気づけるのです。
自分を支えている存在がいてくれることに気がつけば、挑戦することへの勇気をもらうことが
できるのです。
勇気はサポーター(応援者)からもらえるのですから。
「人生万事塞翁が馬」であらゆることを肯定すれば、すべてが味方につきます。
味方(サポーター)が増えれば増えるほど、勇気を増して挑戦を恐れなくなります。
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AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年4月29日 16:07
行動を変えるために
私たちの人生は、習慣の複合体と言えます。
習慣は、行為・行動の繰り返しによって築きあげられます。
フロイトは、『反復強迫』という概念で、意識下に抑圧されたものは、行為の繰り返しとして表
現されるとしました。
たとえそれが自身を傷つける行為であっても、意識下に刻まれたものにより、自分でも意味
が分からぬまま、その行為を繰り返してしまうのです。
ACの生き辛さはまさにここにあります。
では行動を変えていけるためには、どうしたらいいでしょうか。
行動の目的を自問自答してみるのです。
ある行動をとった時に、「何のためにそうしているのか?」を問うてみるのです。
ダイエットのためのウォーキングも、何のためのダイエットかを考えると、好きな恋人により愛
されたいという目的が見えてきます。
高級車を購入するために懸命に働くのも、何のためかと考えると、経済力を誇示したいと
いう意思が見えてきます。
その経済力の誇示もまた、自分の存在意義を認めさせるという目的があります。
いずれも、「何のため?」を繰り返していくと、より本質的な目的に行き当たります。
愛され、認められ、受け入れられることが今必要な状況にあることが見えてきます。
母親が子どもの世話を過剰にやき、自立心を削ぎ、自分を頼らせることでわが子から求めら
れている実感を得るという目的をはたそうとする場合があります。
このケースも背後にあるのは、必要とされることを必要としている虚無感です。
目的には、必ず価値観が関わってきます。
何に価値を見いだしているのか、何を優先的に大切なものと認識しているのか。
それによって、目的が定められます。
そして、その価値の充足の基準にしているものは何か?
先の例では、容姿(体重)であり、収入、車であり、わが子の依存度が充足を測る基準になっ
ているのです。
行動を変え、なおかつ継続させていくためには、目的が明確になっておかなければなりませ
ん。そして、基準が変わらなければ今まで求めていたものを求め続けるだけで、行動の変化
は現れません。そのためには、価値観そのものを変えていくしかないのです。
私たちが身に備えている価値観は、低年齢期に親や周囲の大人たちから刷り込まれたもの
が多く有ります。中には、誤った価値観もあります。
「いい高校、大学に行かなければろくな人間になれません」という価値観に嫌悪感を抱き、高
校受験直前に不登校をして、学歴放棄で親の価値観に挑んだ少年がいました。
価値観は、根底から行動に揺さぶりをかけます。
意識下に抑圧されるものもまた、価値観によってしまい込まれてしまったものです。
生き辛さを感じるとき、自身の価値観を客観的に見直してみることが、回復への一助となって
いきます。
あなたがこのブログを読んでいる目的も問い直してみてください。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年4月13日 20:19
自己とのコミュニケーション
私たちが生きていく中で抱える苦悩は、人間関係に集約されると思います。
自分を他者に理解してもらい、他者の思い、動向をまた自分が把握できれば、関わりあいは
円滑にいきます。
そのためには、自分の意志を主張、表現でき、互いの感情交流のためのコミュニケーション
が必要になります。
しかし、このコミュニケーションがうまく取れないという生き辛さを感じている人も少なくないの
ではないでしょうか。
コミュニケーションに苦手意識をもっている人に多いのは、話下手で、気の利いた会話ができ
ないことがその原因と思っていることです。
実際そうでしょうか?
口数が少ない人でもけっこう交友関係が広い人がいます。
それは、コミュニケーションが単に言葉だけで支えられているものではないからです。
コミュニケーションの目的は、相互理解のための自己表現、他者受容です。
そこから信頼関係を構築していきます。
自己表現ができるためには、表現する自分を知らなければなりません。
そのためには、他者とのコミュニケーションの前に自己とのコミュニケーションをはからなけ
ればなりません。
自己との間にも、他者との間にも信頼関係を構築していくためには自己開示が必要ですが、
その自己開示を妨げているものに次の三つがあります。
ひとつが〈シャドー〉です。
これは、自身が否定する、自我と正反対の悪(影)です。
例えば、誰にでも人の幸福を喜ぶ心とねたむ心とを持ち合わせています。しかし、ねたむ心
は、自分でも受け入れ難いですから、下意識に押し込んでしまうのです。
「魔がさした」と言いますが、この魔がシャドーです。
つぎに〈コンプレックス〉
これは単に劣等感ではなくて、無意識の中のこだわり、囚われです。
誤った信念といえます。
親からの刷り込みや、期待にかなった場合だけの条件つきの愛情により、偏った思い込み
が生じるのです。
三つ目に〈ペルソナ〉
外部に順応するための、本来の自己を隠す仮面です。
偽りの自己と表現できます。
これらのものが自己を縛り、本来の自己を見えにくくしていることに気づくことが大切です。
自己とのコミュニケーションがはたせ、創造的・肯定的な心と破壊的・否定的な心を統合で
きることで、他者とのコミュニケーションも自然に取れるようになっていきます。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年4月 1日 21:06 | コメント(3)
主体的に生きる
自助というテーマhttp://forum-hokushin.weblogs.jp/blog/2009/02/post-e4b7.htmlでお話
しした時に、主体性にふれました。
『小人閑居して不善をなす』(大学)という言葉もありますが、空虚さは依存を招き、主体性を
喪失します。
AC(アダルトチルドレン)の特徴のひとつが、この空虚さともいえるでしょう。
成育過程において、愛着欲求や、承認欲求が満たされず、その埋め合わせのために、人間
関係において自己制御がはたらかなくなります。
主体性とは何か。
ここでは、自己と自己以外との関係性という視点から、環境との対比で説明してみましょう。
主体性が発揮できている状態とは、
①周囲・環境・条件に振り回されず、流されず、支配されない
②周囲・環境・条件に対して常に働きかけ、創り変えていく
③すべてを受け入れ味わう
という状態です。
別の側面から申しますと、自己判断・自己決定・自己責任ができている状態です。
自分自身の存在、現実(選択、感情、行動、幸福)に責任をもって生きる。
主体性を発揮するということは、自分の人生や行動の原因をつくる責任が自分にあるという
ことを自覚するということです。
自己否定感が強い人間は、責任を負うことを極端に避けようとします。
失敗やそのことで周囲からはじかれてしまうことへの恐れからです。
責任転嫁は、他者への依存です。
責任を負うと言うことは、自由がきかず、ストレスがかかるような気がしますが、実際は、その
ことにおいて、主導権を握れるということです。決定権があるということです。
自己責任の自覚は、思考停止を防ぎ、現実受容を促します。
受容に関しては、前回もお話ししました。
自分が責任を持とうが持つまいが、人生からは責任をいやがおうでも取らされるものです。
ツケがちゃんと回ってくるのです。
だったら、主体的に生きていくことで、よりよい人生を創造していった方がよいのではないでし
ょうか?
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年3月25日 21:11
行動の意味を知り、自分を変える!
生き辛さを感じる生き方の根底には、否定された自己があります。
身近にいる他者の基準、期待にそえなかった時、受け入れられなかったという疎外体験をも
っています。
その基準、期待は適性だったのでしょうか?
その是非を確認する以前に、そこで生き残りを図るためには、その期待にそわざるを得なか
ったのでしょう。
ありのままの自己を否定された痛みと、偽りの自己を演じなければならなかった痛みと二重
の苦悩を抱えています。
生き辛さというのは、その「場」「状況」にふさわしくない行動、ふさわしくない心の状態が起こ
るということです。
なぜそうなるのかを考えてみましょう。
私たちは、意識しないままその状態を繰り返しています。
その状況にふさわしく意識をはたらかせることで、主体性を取り戻せます。
主体性を発揮することで、新たな選択が取れるようになるのです。
すべてのものは成長する方向へ向かっています。
成長は変化でもあります。
変化する自然の状態の中で、変化を拒み、認めないことこそが苦悩の原因と言えます。
変化することを恐れないことです。
自己変化を拒むものは、セルフ・イメージです。
これに関しては以前にも述べています。
http://forum-hokushin.weblogs.jp/blog/2009/02/post-b922.html
硬直化、固定化した心に変化をつけるためには“気づき”が必要です。
硬直化、固定化は執着、偏りを生み、偏ったそのままで安定しようとすると、いびつに自我が
歪みます。
気づきから反省し、そこから学び、決意を固め(決心)、実行する。
そしてまた、あらたな気づきを得る。これを繰り返していくことです。
自己変革するためには、めんどうくさく感じることを率先して実行してみましょう。
日頃使わぬ筋肉を使うとコリが生じます。
それと同じように、めんどうくささを感じるということは、これまで実行していない証拠です。
だからこそ変わることができるのです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年3月14日 19:50
自助について その2
前回自助グループに関して、私なりの見解をお話ししました。
ACや不登校、ひきこもり当事者家族の自助グループ、親の会などが思った効果が現れない
のには、もう一つ理由があります。
それは、当事者のみの集まりになると、情緒的な共感はできても、現状の生き辛さを解消し、
より良く生きていくための手立てが見えにくいということです。
そもそもなぜ生き辛さを感じているのか。
それは、あらゆる事象をとらえる時の選択肢が限定され、偏っているからです。
自身の経験への意味づけに多様性がないからです。
これを霊性の未発達と申します。
人間は「意味への意志」を発動させることができます。
意味を付与し、行動力の源泉とします。
それが人のもつ「霊性」というものです。
AC、不登校、ひきこもり、その親が抱えている問題は、精神性の問題ではなく、霊性の問題
なのです。
生きていくことへの意味を見いだせず、生きがいの喪失に魂の呼吸不全とも言える状態で
す。
自助グループには、息を吹き返せるほどの気づき、覚醒が必要です。
そのためには、当事者同士だけの交流では得られにくいのです。
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ふぉーらむ北辰
福岡県大野城市つつじヶ丘6-4-21
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年3月 3日 20:50 | コメント(2)
子育てとインナーチャイルド
私が不登校やひきこもりの青年たちの支援活動をしているのには理由があります。
それは、学校に通えるようになってほしいとか、働けるようになってほしいということよりも、そ
の原因になったことを自分が家庭をもつまでに昇華しておいてほしいということです。
たとえ学校に戻る、働くということだけを実現できても、源泉にあるものを解決しないままだ
と、自分が家族をもった時、わが子を同じ状態にしてしまう可能性が高いのです。
次世代ACという概念がありますが、実は不登校、ひきこもりの青少年たちが次世代ACであ
ることが多いのです。つまり、その親たちがACであるということです。
夫婦は、互いが全く違う環境で生きてきて、縁があって夫婦になります。
価値観の違う男女が、それぞれの家庭で満たされなかったものを、無意識の内に互いに求
め合います。
ここから、歪みが生じ、そのシワ寄せが子どもに向かってしまうのです。
子育てが始まると、その発達過程で、その時々の自身のインナーチャイルドが、顔をのぞか
せます。
例えば、5才の時の自分が満たされなかった欲求を、5才のわが子に当時の自分を重ね、そ
の欲求を充足させようとします。しかし、あくまでも目の前にいるのは、わが子であって自分で
はないのです。それに気づけず、無意識の内にわが子の心に侵入してしまうのです。
ですから、わが子にとっては、あらかた過剰なものとなってしまいやすく、その結果子どもは
窒息してしまい、自己像に歪みが生じてしまいその後の人生に暗い影を落とします。
しかし、このインナーチャイルドをはっきり自覚できていれば、子育ては自身にとってもより有
意義な機会と成りえます。
わが子の成長を支えながら、自身のインナーチャイルドも成長させていくのです。
インナーチャイルドと必ずペアにあるのがインナーペアレントです。
自身の心に居座る両親の残像です。
インナーチャイルドとの対話を通して、インナーペアレントと正面から向き合い、親になった現
在の自分が、両親との関係を読み解いていく。
そのことで、自身がACである理由が分かり、子育てをわが子と自分の成長の機会として楽し
め、わが子に健全な自己愛、自尊感情を与えてあげることができ、わが子を次世代ACとし
てしまわなくてすむのです。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
https://www.interbrain.co.jp/course/empowerment/
AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年2月23日 19:18 | コメント(2)
結果への恐れ
新たな事に取り組むことに対して、過度な怯えがあると、当然行動が不活発となります。
やる前から、「失敗しないだろうか」「うまくいかないといやだし」等の不安が先に立ち、結局は
止まってしまうということはよくあることです。
失敗をしない最善の方法は、何も取り組まないことです。
失敗のしようがありません。もちろん、何の成果も得られないのもまた事実ですが。
多くの青年たちは、失敗という動かしがたい「結果」に怯えています。
「結果」に拘っていれば、取り越し苦労がある限り、積極性は発揮されません。
私たちが抱える苦悩は、イコール(=)結果ではありません。
苦悩は、「結果」から受ける「影響」の一形態です。
要は、「結果」はどうあれ、「悪影響」さえ受けなければいいのです。
となれば、結果に過敏になる必要はありません。
どんなに損失があっても、大勢に影響がなければ、気に病む必要がないのです。
何事も結果を確定づけることは出来ません。
しかし、それから受ける悪影響は、より少なくすることは可能です。
風邪をひきやすかったら、体力をつければひきにくくなれます。ウィールスをこの世から失くす
ことは出来ませんが、運動すれば抵抗力がついてくるというわけです。
このことに気がつけば、「結果」を気にして決断が鈍ることはなくなります。
後は、「悪影響」を受けない自分を作ればいい。そのためには、“活かす”という発想が大切
です。「あらゆる状況・状態・条件も全て活用する」という姿勢です。
どういう前提に立つかで、人の姿勢・態度は決まってきます。
ひとつの前提として、「全ての事象には、意味(意義・価値)がある」としてみては如何でしょ
う。様々なものが見えてきます。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年2月12日 20:00
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