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ACからの回復
~私は私でありたい
HOME > アダルトチルドレンからの回復~私は私でありたい : 旧ブログ > アーカイブ > AC > 12ページ目
アダルトチルドレンからの回復
~私は私でありたい : 旧ブログ
AC
12ページ目
自分が自分の創造主
「自分を考える」の記事に投稿してくださった“いちゃもん”さんの言葉に
「自分も自分の創造主」とありました。
まさにその通りだと思います。
私の好きな釈尊の言葉に下記のようなものがあります。
『おのれこそ おのれのよるべ おのれを措きて 誰によるべぞ
よくととのえし おのれにこそ まことえがたき よるべをぞ獲ん』
(友松圓諦訳)
自分を措いて誰が自分の救い手となることができるか。自分こそ自分の救い手
である。といった意味です。
釈尊は、死にゆく間際、嘆き悲しみ慟哭する弟子に、「自分自身に燈火を抱いて
自分の足元を、自分のゆく手を照らし、輝かせなさい」という意味でこのメッセー
ジを残されたそうです。
よく整えられた自己こそが、自分のよるべ(救い手)となるのですから、自分を
見失わないことが大切です。
よく青年たちから「人からどう思われているか、いやがられていないか心配です」
と聞かされます。
その時私が彼らに尋ねることは、「どう思われたいの?」です。
その問いかけにほとんど具体的なことは返ってきません。
せいぜい「普通に思われたい」です。
どういう人だと思われたいのかが、自分の中でまとめられていないのです。
これが自分を見失っている状態です。
自分が誕生した家、家族、両親を自分という生命を活かすための必要条件と
考えてみましょう。
自分の健全な成長をにとって障害となる環境であっても、そこでの痛みを知る、
体験することが、自分の存在価値を高める。自身の役割を活かすために必要な
ことなんだと。
失うものがあってこそ、得られるものがあります。
得られないものがあってこそ、その価値に気づくことができます。
人格形成はすべて親によってなされるものではありません。
環境や体験、親以外の他者との関わりなどによっても、大きな影響を受けます。
両親との間で満たされなかったものがあればこそ、外の世界にあるものに気づけ
ます。
親の世界観やわが家の常識は、とても狭いものです。
私たちは、どこかで親の言い分をそのまま信じてしまっているところがあります。
何の疑いも挟まず、自分への否定観までをも信じてしまっていませんか?
よるべとできる自分を作るためには、自身の心に刻まれているものを観察する
自己の眼で、整理整頓する必要があります。
誤った自己像は葬り去り、本来の燈明をともしてください。
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AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
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ふぉーらむ北辰
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年3月19日 12:32
トラウマのせいか、運命のせいか?
元型的心理学の創始者ジェイムズ・ヒルマンは、トラウマ理論を批判し、「私たちの
人生を支配しているのは、子ども時代に何があったかではなく、痛ましい体験に
より傷つけられた心によるものという観点から理解するようにしむけているトラウマ
理論それ自体である」と述べています(『生きがい発見の心理学』諸富祥彦著)。
ヒルマンは、代わりに、私たちを超えた「何か」が向こうからやってきて、私たちの
魂を掴み、そして否応なくある「道」へと誘っていく。というとらえ方を提示している
のですが、これは、運命論になってしまっています。
つまり、すでに「運命」というものが定められていて、個々の人生は、決められた
シナリオに基づいているものだから、トラウマによるものではなく、用意されてい
たことといったとらえ方です。
また、論理療法のアルバート・エリスは、幼児期体験や過去の条件づけは、自分
の心理的な混乱の根本的な原因ではない。非論理的な考えを自分が未だに信じ
ているから。と述べ、過去の経験によって、人格が変革できないくらい固定される
ことはない。としています。
あくまでも、現在の自分自身の人生観が、自分を混乱させているというのです。
いずれも、過去の今に与える影響をあまりにも軽んじているとしか言えません。
人生のとらえ方として、ヒルマンのように「運命」といったものがあると仮定する
ことは、偶然で起こることではないのだから、そこからそのことがもつ意味をくみ
取ろうとはします。
そのことで、過去に絶望することなく、未来を作っていける姿勢ができます。
また、エリスのように過去の経験がどうあれ、今の自分の意味づけによって、不安
を軽減していくことも確かにできます。
しかし、現在の認知の歪みや誤った信念は、トラウマの結果であることは明白で
あり、それが行為の偏りを生み、偏りの固定化、持続化が自我の変容、生き方
のゆがみを招いているのは事実のことです。
非論理的な考えを未だに信じていること自体が、まさにトラウマの影響なのです。
現状の生き辛さがトラウマではなく、運命であるならば、その解消のためには、
運命の転換をはからなければならないし、過去のことを過去のものとして切り離
せるためには、強靭な意志力が必要とされます。
過去の痛みが現在の自分に与えている影響によって、翻弄されているアダルト・
チルドレンにそれを求められるのでしょうか?
現状の生き辛さを誘引したトラウマを知ることは、歪められた自己の根拠を知る
ことであり、誤った信念の修正を可能にすることなのです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年3月 8日 09:00
自分を考える
「自分ってなんだろう?」と考えたことがあるでしょうか。
社会の中で自分を生かしていく時、“自分ならでは”というものが自覚できていない
と、身の置き所に苦慮してしまいます。
独自性が自分の位置を確認させてくれるものです。
では、その独自性を知る手がかりは何でしょうか?
その一つが、欲求です。
自分の欲求を知ることです。
ここで大切なことは、自分自身の欲求を知ることです。
他人の欲求を自分の欲求と錯覚してしまっている場合があります。
承認されたいがために、他者の期待に応えている内に、知らず知らず他者の欲求
を自身の欲求と勘違いしてしまうのです。
自分自身の欲求を見失ってしまうと、慢性的な未充足感から、何ものかに執着して
しまいがちになります。
嗜好品であったり、ギャンブルであったり、特定の行動に強迫的になることもありま
す。
すり替えられた代替行為だからです。
また、期待を裏切られたり、欲求を制せられたりする機会が多かった場合は、欲求
を抑え込むことを覚え、無欲のようになってしまいます。
欲しいものも、やりたいことも浮かばない状態です。
自分の欲求を探索するためには、子どものころに何に夢中になっていたかを思い
出すことと、五官をフルに使って、色々な刺激を自分に与えることです。
子どものころに興味をおぼえたものは、大人に成長しても本質的には変わりま
せん。
また、刺激を加える中で、必ず関心のアンテナにひっかかるものが出てきます。
どういう行為や行動をとっている時に、喜びや楽しみを感じるかを振り返ってみま
す。
何かを創っている時か、話している時か、書いている時、教えている時、手助け
している時、考えている時、計算している時、描いている時、きれいにしている
時、自然の中にいる時などなど。
楽しみたいのか、笑いたいのか、感動したいのか、ほめられたいのか、感謝され
たいのか、安らぎたいのか。
自分の感覚を少しずつ呼び戻していくのです。
自分を知る手がかりとなるもうひとつのものは、自分に降りかかる“問題”です。
どんなことで困ってしまっているか。
困ってしまうことの解決のために色々取り組んでいる間に、それが得意となって、
自分の強みになる場合があります。
“問題”は、自分をとらえ直すための新たな世界観を得る機会を与えてくれるもの
と捉えればいいのです。
そのままではまずいから、困った事態になってしまっています。
何らかの変化を起こしていかなければならないということです。
ですから、自ずと成長できます。
そういう意味でも、困った事態からも目をそらさず、自分を発見するための機会とし
て活かすのです。
自分を知ろうと思えば、日常生活の中にいくらでもヒントが潜んでいます。
どこか遠くの外の世界に探そうとするから、いつまでも見つからないでいるのです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年2月19日 17:23 | コメント(1)
このー木なんの木♪
「なんとなく」の記事にコメントがいくつか寄せられましたので、お話ししましょう。
根付いた悪い種に今さら気づいたところで、成長した木はどうにもならない。
そうでしょうか?
種に気づくということは、出どころを知るということです。
つまり、自己否定や生き辛さの元になっている偏った行動の根拠を知るということです。
出どころが分からなければ、消しようがありません。
「しかし、大木になってしまっていては、どうにもこうにも・・・」と仰るのでしょう。
さて、大木でも根が腐れば容易に倒れます。
根絶やしにすればいいんです。
育ってしまっているのは、栄養分を与えたからです。
悪い種に与えた栄養分というのは、責任転嫁、自己正当化、愚痴です。
振り返ってみてください。
自分の人生に責任をもってきましたか?
常に自分を正当化し、他人に自分の尻拭いをさせてきませんでしたか?
人生において、判断、決断したことは、たとえ他者から促されたことであっても、
実行のギリギリ直前で決定したのは自分です。
自分で責任をもちましょう。
ただし、幼い頃は自分で決定できていないことがあります。
親が負うべき責任の肩代わりで、罪悪感をもつ必要はありません。
悪い木を根絶やしにするためには、責任転嫁、自己正当化、愚痴といった
栄養分を涸らしてしまえばいいんです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年2月12日 20:04
関係づくり
このブログをご覧になっている方の多くは、生き辛さの中でも、人間関係に関して
それを強く感じている方だと思います。
恐らく、人間関係で悩まない人はいないでしょう。
では、なぜ悩んでしまうのかを少し考えてみましょう。
社会の中で人と関わっていくためには、他者と協調していかなければなりません。
その中で、自分の要求を伝え、実現をはかっていく。
この辺りのかねあいが、なんとも難しいところです。
自分を主張しながら、なおかつ他者からの要求とどう折り合いをつけていくか。
先ず必要なことは、他者に対して、自分を正確に伝えることです。
自己表現が不十分で、不適切ですと、周囲から誤って自分を認識されてしまい
ます。
適正に自分を理解してもらうためには、自分自身が自分を適正に認識しておか
なければなりません。
ここで、自己イメージの問題が出てきます。
「自分はダメな人間だ」
「どうせ誰も受け入れてくれない」
などの誤ったイメージがあると、自分を出すことを控えてしまいます。
また、何が自分らしさか、他でもない自分という独自性は、何かが分かって
いなければ、これもまた相手に表現することができません。
それから、他者を理解していくことが必要です。
他者を理解するためには、敬意をもって、関心を示すことです。
「敬意をもって」というのは、これから人間関係を構築しようという時に、相手も
また、自分とは違う、考えや感性、欲求をもった独自な存在であるということを
尊重するということです。
そして、より理解を深め、共感できるところは、共感していきたいという姿勢が
大切です。
人間関係の悩みは、“関係”で悩んでいることに気づいてください。
とかく相手の存在を問題としがちです。
相手の存在、意思を自分に都合よく変えることはもとよりできません。
「人格」は、互いの関わりようで変化します。
相手にどういった姿勢・態度で関わっていくかで、相手からこちらがどう関わられ
るかが決まってきます。
互いの関係性が改善されれば、相手の存在そのものに変化がなくても、状態は
良くなっていきます。
相手との調和というのは、互いが活かしあうということです。
「相手よし、自分よし」の関係性を築き上げていくことです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年2月 4日 09:11 | コメント(3)
なんとなく
皆さんは、かねての生活の中で、なんとなくそう感じるというものはないでしょうか。
さしたる理由があるわけではないのですが、いつも決まってそう感じるものです。
これが「なんとなく出来るような気がする」「うまくいくような気がする」といった
ポジティブなものであればいいのですが、「なんとなくまたうまくいかないような
気がする」とか、「間違っているような気がする」といったネガティブなものですと、
生活の場でなにかと不都合が生じますので、そのままにはしておけません。
これらの思いは、無意識に刷り込まれたものであることがほとんどですので、
きちっと、その根拠を探りあげた方がよいのです。
例えば、失敗が許されないような環境がなかったでしょうか。
何かの失敗をするたびに、責任を追及されたり、または、嘲笑されたりすれば、
失敗への過度な怖れが身についてしまいます。
それに加え、「なにをやらせてもダメな子ねぇ」なんて言葉をあびせられようもん
なら、居てはいけない子ぐらいに自分を認識してしまいます。
失敗をすれば居場所がなくなると思えば、いかなる挑戦も避けようとします。
結果、変化を拒む生き方になってしまいます。
失敗はしない代わりに、何一つ達成感も味わえない、自堕落な生き方です。
ありのままでいられる環境があったでしょうか。
感情や欲求を表すことが自然に受け入れられたでしょうか。
自分の意見を出すことが、柔順でない聞き分けのよくない子だと決めつけられ
ませんでしたか。
自分に歯向かわれることへの抵抗力がない親の場合、反抗する子を「悪い子」
と表現します。
子どもの価値観を包み込めるほどの余裕がないのです。
自身の価値観が揺らいでしまいかねないからです。
ありのままを許されなかった場合、感じること、欲求を自覚することが出来なくなり、
他人の欲求を自身のものと錯覚し、他人の人生でしか生きられなくなります。
家庭の中で慢性的な緊張感はありませんでしたか。
例えば、父親が仕事から帰って来るなり、神経質に部屋の隅々まで目をやり、
片付けられていないことの文句を言ったり、食事中に説教が始まったり、両親間
や祖父母たちとの人間関係で、固定された緊張状態がなかったでしょうか。
抑圧する側とされる側、挑発する側とされる側。
閉ざされた狭い空間の中の人間関係からくる緊張の空気は、そこにいる住人
特に子どもたちを窒息させます。
呼吸不全の家庭で育った子どもたちは、社会の中の人間関係に家族を投影し、
健全な距離感を計れず、自分の立ち位置を見い出せず、パターン化された関わり
合いから脱することも出来ずに過ごします。
これらのことが、意識下に染み込み、特定の行動の反復を誘発します。
これが「なんとなく」のメカニズムです。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年1月21日 20:59 | コメント(3)
新年明けましておめでとうございます。
旧年中、つたないこのブログにご訪問頂いた皆々さま、誠にありがとうございまし
た。そして、今年もご訪問くださり、重ねて御礼申し上げます。
今年も宜しくお願い致します。
今年は寅年。
十二支にはそれぞれの意味があるようで、「寅」は、地中で十分に養分を摂取し、
エネルギーを貯えた草木の芽が、地上の温度が高くなり氷が融けてくると、猛烈
な勢いで地上に出てくる。
このありさまを、虎が突っ走る姿にに例えているそうです。
皆さんも初詣、三社参りはすでに済まされたと思いますが、おみくじを引かれ
ましたか?
私は小吉でした。
恐らく、吉なのか凶なのかと一喜一憂されていると思いますが、そもそも吉凶は、
何をもって「吉」、「凶」だと思いますか?
「吉」は生命の成長の状態、「凶」は後退の状態です。
生命の自然の流れは、成長です。
まさに今年の「寅」が象徴しているように、土に落ちた種は、栄養分を吸収し、日に
日に姿を変え、やがて殻を突き破って新芽を出します。
ですから、成長につながるものは吉であり、逆に成長を阻むものは凶です。
常に自分を成長させることを怠らなければ、いつでも吉ですし、怠るようであれば、
いつでも凶です。
「吉」が出たら慢心にならず、ますます成長できるように、「凶」が出てもがっかり
せず、成長を妨げているような悪い習慣がないかなどを振り返り、いずれもみくじ
にある言葉(歌)をよく読んで指針にしていけばいいかと思います。
「天地自然」「天の徳、地の恩」と申します。
天の心が「仁」 思いやり
地の法(のり)が「礼」 敬いです。
天の徳、地の恩に報いるために「仁」と「礼」を調和させていくことで、自他共に
成長させることができます。
すべてのトラウマ体験(凶)も成長につなげることで、自然の理「陰極まりて陽に
転ず」で、凶を吉に転ずる(開運)ことができるでしょう。
お釈迦さまは、「生きとし生けるもの幸いなれ」と祈られていたそうです。
そんな大きな心にはとうてい行きつきませんが、このブログでご縁を頂いた方たち
のますますのご開運をお祈り申し上げております。
今年も宜しくおつきあいくださいませ。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2010年1月 5日 18:07
完璧主義の功罪
人の行動にはすべて本人なりの意味があります。
完璧主義を標榜する青年たちも少なくありません。
では、その意味は何でしょうか?
完璧でなければならない理由を考えてみましょう。
完璧であれば、予想されるのが周囲からの高い評価、賞賛です。
“完璧”ということは、この評価を過度に求めているということです。
高い評価を得なければならない訳がその本人の中にあるということです。
つまり裏返しとして、評価を得られなかったことの傷つきを体験しているのです。
恐らく存在を脅かされるほどのものだったのでしょう。
漢字の練習帳のマスから少しでも字がはみ出したら、何度も書き直していたと
いう青年もいました。
周囲からの評価が、愛されているか否かというものだったらどうでしょう。
愛されずにいて平気な人間はいません。
愛されないでいる現実から逃れるためには、アラを見せられず、失敗も許されま
せん。
しかし、それが無理だということをいつの日か感じだすのです。
そして、今度は低い評価に耐えられる(馴染む?)自分をつくりあげようとします。
それは、自分に期待しないということです。
期待できないように自分をおとしめていきます。
そのためにまた、完璧主義を強め、レベルを引き上げ、相対的に自分をより引き
落としていきます。
自己評価が低ければ、周囲からの低評価に対してもダメージが小さくて済むから
です。
「そもそもダメ人間だから」と自分を納得させるのです。
それは痛々しいほどです。
対外的には理想主義者的に完璧主義を装い、内的には完璧との差を広げ自分を
おとしめていく。
いずれも傷つかないための自己防衛策です。
失敗への過度な恐れも完璧主義のもう一つの顔です。
愛されなければならない人間にとって、失敗は孤立を意味します。
そのため、失敗を避けるために何事にも取り組まず、評価の目にさらされない
ために他者と関わらず、結果望んでいないはずの孤立を招いてしまうといった
矛盾を抱えます。
完璧主義から脱却するためには、求められる、愛されることへの過剰さがどこから
来たかを知ること。
人から愛されるためには、完全や完璧は必要ではないことを知ること。
かえって何かが足りない、苦手なことがある方が、人間味となります。
ユーモアも大切です。
相手の立場に立ってものごとを考えることが出来て、周囲や社会、自然のために
役立っていれば、愛されます。
一番には、自分を大切にして輝いていれば、必ず愛されます。
そして、完璧主義は、目の前の小さなこと(どうでもいい事)の完全さに拘っている
間に、人生を不完全燃焼、充実できないものにしてしまっているということを知る
こと。
これらのことで完璧主義から脱却することができます。
自然界に完璧はありません。
遊び(ゆとり)があります。
自然界は常に成長です。
足りないから成長できるのです。
完璧はそこで停滞です。
そういう意味でも、完璧主義ではなく、改善主義に切り替えましょう。
昨日よりも今日、今日よりも明日。
何かひとつでもいいから、よりよく改善していくんです。
そうすれば常に成長やまない自分になれます。
そんな自分って素敵じゃないですか?
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年12月16日 09:18 | コメント(1)
親との対峙
両親との関わりの中で受けたダメージにより、生き辛さを感じているACの最大
の課題は、その親を許すことができるかということでしょう。
親との新たな関係を築き上げるためには、何を与えてもらえなかったのか。
何をさせられたのかを振り返ることが必要です。
ただし、ここで誤ってしまいがちなことが、親への責任追及です。
ここでの目的は、断罪ではなく、あくまでも受けた影響を客観的に把握するという
ことです。
影響により、今の自分が何ができなくなってしまっているのか。
何を恐れてしまうのか。
何をしでかしてしまうのか。
を自覚することです。
なぜなら、受けた影響を軽減していくことが目的だからです。
親の責任を追及したところで、影響が消えるわけではありません。
もちろん、親自身がその責任に対して、謝罪などの充分な償いを自ら行ってくれ
ればその意義はありますが、多くはそれを期待できません。
「誰がそうした」となると、怒りや恨みの感情が自然わきおこります。
「誰が」ではなく、「どういう背景(環境、条件)があって、そうなったか」と考えて
ください。
夫婦喧嘩の絶えない家庭だった。
母親を殴る父親のいる家庭だった。
何事にも干渉してくる母親のいる家庭だった。
意思表示をすることを許さない父親のいる家庭だった。
病弱な母親のいる家庭だった。
など、自分が育ってきた背景を見てみるのです。
そこから受けた影響で、過剰に安寧や周囲からの承認を求めようとするあまり、
自分を出さず、周囲におもねる生き方を選択してしまい、依存的になってしまった
など、今に与える強制力を確認するのです。
それにより、自身のとる行動の意味を知ることができ、修正、改善がはかられます。
とは言っても、「それさえなければ・・・」と悔やみたくなるのが人情です。
と同時にやはり親に対しての怒りや恨みがわいてしまいがちです。
こう考えてみてください。
子ども産む喜びを得られるためには、女性として生まれる必要があります。
歌舞伎役者として幼いころから舞台をふむためには、歌舞伎役者の親をもたな
ければなりません。
親に早くに死に別れたことで、医者を志した人もいるでしょう。
自分の命の目的の中に、「何かを学ぶため」というものがあるとしたなら、
女性として生まれた。
歌舞伎役者の親をもった。
親が早くに亡くなった。
というものは、すべてそのための必要条件です。
であれば、親のありようを含めた、自身の生い立ちの背景が何を学ぶための
必要条件かと考えてみるのです。
そこに必ず発見があります。
とことん考えてみてください。
そこに見いだされたものが、これからの自分の生き方に豊かさを与えてくれる
ヒントになり、新たな親との関係を構築することにもつながるのですから。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
https://www.interbrain.co.jp/course/empowerment/
AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
https://www.interbrain.co.jp/adultc/
NPO法人地球家族エコロジー協会付設心理教育カウンセリング・オフィス
ふぉーらむ北辰
福岡県大野城市つつじヶ丘6-4-21
https://www.interbrain.co.jp/hokushin/
(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年11月28日 21:07 | コメント(1)
問題の在りかは?
誰でも特に苦手としている場面があると思ます。
意見を求められたとき
人に誘われたとき
一対一になったとき
決断を迫られたとき
分からないことが出てきたとき
などなど
中には、決まってそういう場面で、パニックになってしまう人もいるかも知れません。
では、いかなる場面でもよりうまく対処していけるようになるためのポイントをお話し
してみましょう。
先ず、その状況での自分の置かれた立場で、どういった結果を出すべきかを考えて
みてください。
立場というのは、例えば自分が入社したての社員であるとか、上司から仕事を
与えられた部下であるとか、お客からクレームを出された店員であるとか、人に用事
を頼む側など、その状況下でのいわば位置です。
その立場で、出さなければならない結果というのは、つまり求められている結果です。
着地点とも言えます。
この結果(着地点)が分かるためには自分のとる行動の目的がつかめていなければ
なりません。
「何のために」それをやるのかということです。
例えば、人に用事を頼むとき、目的は自分がやってほしいことを滞りなくやってもらう
ことですから、正確に意図することを伝えなければなりません。
その時に大切なことは、結果を出すために何が必要か、準備しておくべきことがない
かとうことです。
着地点に対して発着地点と言えましょうか。
相手が、その用事を遂行できるだけの能力があるのか。
足りない部分があれば、補っておくことが必要です。
丁寧に教えてあげて、要求している結果を相手が認識できているかを確認しておく
ことも忘れないようにしておかなければなりません。
それらを怠っていれば、相手から満足な結果が返ってこないからといって、一方的に
相手ばかりを責めるわけにはいきません。
用事を頼む側の責任です。
場合によっては、能力がどうしても追いつかないと予想されれば、相手を変えること
も考えなければなりませんし、結果を出す期限も考慮して人選や依頼のタイミングをは
かっていくことも必要です。
問題は、こういったことを考える先から、
「相手は怒らないかなぁ」
「失敗しないかなぁ」
「断られないかなぁ」
「バカにされないかなぁ」
「いやがられないかなぁ」
などと、いらぬ心配が頭の中をかけめぐることです。
もしそうだとしたら、その心配が実現するであろう根拠にしていることを洗い出し、
それに対しての対策を打てばいいんです。
ほとんどが今考えてもどうにもならないことばかりのはずです。
目的と結果(着地点)が見えていさえすれば、心配にはおよびません。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年11月17日 20:27 | コメント(1)