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アダルトチルドレンからの回復
~私は私でありたい : 旧ブログ
AC: 2009年3月
主体的に生きる
自助というテーマhttp://forum-hokushin.weblogs.jp/blog/2009/02/post-e4b7.htmlでお話
しした時に、主体性にふれました。
『小人閑居して不善をなす』(大学)という言葉もありますが、空虚さは依存を招き、主体性を
喪失します。
AC(アダルトチルドレン)の特徴のひとつが、この空虚さともいえるでしょう。
成育過程において、愛着欲求や、承認欲求が満たされず、その埋め合わせのために、人間
関係において自己制御がはたらかなくなります。
主体性とは何か。
ここでは、自己と自己以外との関係性という視点から、環境との対比で説明してみましょう。
主体性が発揮できている状態とは、
①周囲・環境・条件に振り回されず、流されず、支配されない
②周囲・環境・条件に対して常に働きかけ、創り変えていく
③すべてを受け入れ味わう
という状態です。
別の側面から申しますと、自己判断・自己決定・自己責任ができている状態です。
自分自身の存在、現実(選択、感情、行動、幸福)に責任をもって生きる。
主体性を発揮するということは、自分の人生や行動の原因をつくる責任が自分にあるという
ことを自覚するということです。
自己否定感が強い人間は、責任を負うことを極端に避けようとします。
失敗やそのことで周囲からはじかれてしまうことへの恐れからです。
責任転嫁は、他者への依存です。
責任を負うと言うことは、自由がきかず、ストレスがかかるような気がしますが、実際は、その
ことにおいて、主導権を握れるということです。決定権があるということです。
自己責任の自覚は、思考停止を防ぎ、現実受容を促します。
受容に関しては、前回もお話ししました。
自分が責任を持とうが持つまいが、人生からは責任をいやがおうでも取らされるものです。
ツケがちゃんと回ってくるのです。
だったら、主体的に生きていくことで、よりよい人生を創造していった方がよいのではないでし
ょうか?
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
https://www.interbrain.co.jp/course/empowerment/
AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
https://www.interbrain.co.jp/adultc/
NPO法人地球家族エコロジー協会付設心理教育カウンセリング・オフィス
ふぉーらむ北辰
福岡県大野城市つつじヶ丘6-4-21
https://www.interbrain.co.jp/hokushin/
(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年3月25日 21:11
まっすぐな自分
まっすぐな自分とは、“ありのままの自分”のことです。
「クセモノ」という言葉が時代劇に出てきますね。あれは“曲者”と書きます。まさに曲がってい
ますね。
真っ直ぐな自分でいられるためには、素直さと正直さが必要です。
「ありのままの自分がちょっと素直さに欠けているのですが」という方もおられるでしょう。
そういう方はヘソ曲がりと言うのです(笑)。
どうして私たちは素直さと正直さが時に無くなるのでしょう。
それは、“否認”する我があるからです。
受け容れがたい現実
受け容れがたい自分自身
受け容れがたい苦悩
いずれも誰でもが体験していることです。
自分が認めていない恐れは、克服できない
感じていることを認めない苦痛は、癒すことができない
あると認めていない問題は、解決できない
自分が認めたがらない傾向は、変えることができない
“否認”は、あるがままを否定する自己を偽る行為であり、誠実さをも失います。
先ず自分自身を受け容れましょう。
とはいっても、すぐに自分を好きになることではありません。
恐らく、好きになれないでしょう。
欠点のある自分をそのまま受け容れるんです。
今が、その状態にあるだけです。これから先も変われないわけではありません。
いまそのままを受け容れ、自分の行動や選択の意味を知ることが大切です。
自己受容は、自分自身のために生きる、自分らしく、自分にふさわしく生きるために必要な
勇気です。
自分自身を共感をもって理解しましょう。
共感することは、味方にするということです。
否認するということは、認めない、敵にまわすということです。
受け容れられない自分がいたら、その受け容れられないでいる自分を受け容れてあげるの
です。「いま私は、まだ受け容れられないでいる」と。
決して闘わないことです。
そうしたら、少しずつ受け容れられるようになってきます。
それが自分を育てていく、育自です。
素直さと正直さが無くなれば、学ぶ姿勢が育ちません。
学びが無ければ成長はありえません。
成長がなければ、いつまでも自己評価は高まりません。
自己評価が低いままでは、いつまでも自己受容ができないままです。
まっすぐな自分にはなれません。
自分の過ち、欠点を素直に認める勇気があれば、「禍転じて福となす」ことができるのです。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
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AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年3月19日 20:42 | コメント(1)
行動の意味を知り、自分を変える!
生き辛さを感じる生き方の根底には、否定された自己があります。
身近にいる他者の基準、期待にそえなかった時、受け入れられなかったという疎外体験をも
っています。
その基準、期待は適性だったのでしょうか?
その是非を確認する以前に、そこで生き残りを図るためには、その期待にそわざるを得なか
ったのでしょう。
ありのままの自己を否定された痛みと、偽りの自己を演じなければならなかった痛みと二重
の苦悩を抱えています。
生き辛さというのは、その「場」「状況」にふさわしくない行動、ふさわしくない心の状態が起こ
るということです。
なぜそうなるのかを考えてみましょう。
私たちは、意識しないままその状態を繰り返しています。
その状況にふさわしく意識をはたらかせることで、主体性を取り戻せます。
主体性を発揮することで、新たな選択が取れるようになるのです。
すべてのものは成長する方向へ向かっています。
成長は変化でもあります。
変化する自然の状態の中で、変化を拒み、認めないことこそが苦悩の原因と言えます。
変化することを恐れないことです。
自己変化を拒むものは、セルフ・イメージです。
これに関しては以前にも述べています。
http://forum-hokushin.weblogs.jp/blog/2009/02/post-b922.html
硬直化、固定化した心に変化をつけるためには“気づき”が必要です。
硬直化、固定化は執着、偏りを生み、偏ったそのままで安定しようとすると、いびつに自我が
歪みます。
気づきから反省し、そこから学び、決意を固め(決心)、実行する。
そしてまた、あらたな気づきを得る。これを繰り返していくことです。
自己変革するためには、めんどうくさく感じることを率先して実行してみましょう。
日頃使わぬ筋肉を使うとコリが生じます。
それと同じように、めんどうくささを感じるということは、これまで実行していない証拠です。
だからこそ変わることができるのです。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年3月14日 19:50
ある風景から
先日郵便局へ行った際の出来事です。
3、4才の女の子と若いお母さんが私の横に座っていました。女の子が局内の書棚から絵本
を持ってきました。
それは○○レンジャーとかのヒーローものの絵本でした。
それを見るなりそのお母さんは、「何でこんなものを持ってくるの!あなたは女の子でしょう。
男の子が見るものよ。おかしいでしょう。別のを持ってきなさい!」と注意(?)していました。
このお母さんの言葉の中には「女の子らしく」というのが幾度か出ていました。
このお母さんは、何を育てたいと思っているのでしょう。
女の子は、「レンジャーが読みたいのに・・・」と残念そうな顔と、「何故?」というような顔をして
いました。無理もありません。
こういった風景はよくあることだと思います。
でもこの言動、親の価値観が子どもの個性を潰してしまうのです。
「女の子らしさ」って何でしょう。
きっとこのお母さん自身、親からそう躾けられてきたのでしょう。
私が関わっている青年たちに「なぜ人の目が怖い?」と尋ねると、
「僕のことを変だと思われるからです」
「なぜ変なの?」
「他の人と違うからです」
というのが返ってきます。
でも、その根拠を尋ねても具体的なものがあるわけではありません。
「きっと変なんだ」といったものです。
私が「では、どんな人になりたい?」と尋ねると、
「普通になりたい」と答えます。
こういった答えが返ってくる原因にあるのが、誤った“らしさ”の強要です。
それは同時に個性の否定につながります。
青年たちが口にする“普通”というものは、非常に不鮮明であやふやなものです。
何を普通とするのかは、時代や地域や環境や人によって違います。
具体的に「こうなりたい!」というものが言えないことが、人の目に自分をさらすことができな
い本質的な原因なのです。
彼らは、世間や親、周囲の大人たちから、ぶなんな“らしさ”を押しつけられ、個性の自覚が
できなくなってしまっています。
「どうして変なの?」という問いかけに、
「ひきこもりだからです」と答える青年も少なくありません。
「僕は何も経験してきていない。ひきこもりしかない。からっぽです」
これは、ひきこもりを個性、自身のアイデンティティにしてしまっているケースです。
自分で言わないかぎり、誰も見た目でひきこもっていたことなど、分かりません。
しかし、自身がそれをアイデンティテイとしてしまった場合、語らずとも周囲の人間は気づいて
しまうと思い込んでしまうのです。
人は違っていいんです。
違うからこそ、その人の存在意義があるんです。魅力があるんです。
違いの否定は差別意識にもつながります。
子どもたちがネットの中で、匿名の顔を隠した誹謗中傷のいじめを行っているのは、個性を
否定した育て方をしたツケが回ってきているようにも思えます。
先の母親の声が、公共の場であまりにも大きいので、私はそっとその場を離れた次第です。
大人らしさがこの母親には必要だったようです。
(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年3月 7日 12:00
自助について その2
前回自助グループに関して、私なりの見解をお話ししました。
ACや不登校、ひきこもり当事者家族の自助グループ、親の会などが思った効果が現れない
のには、もう一つ理由があります。
それは、当事者のみの集まりになると、情緒的な共感はできても、現状の生き辛さを解消し、
より良く生きていくための手立てが見えにくいということです。
そもそもなぜ生き辛さを感じているのか。
それは、あらゆる事象をとらえる時の選択肢が限定され、偏っているからです。
自身の経験への意味づけに多様性がないからです。
これを霊性の未発達と申します。
人間は「意味への意志」を発動させることができます。
意味を付与し、行動力の源泉とします。
それが人のもつ「霊性」というものです。
AC、不登校、ひきこもり、その親が抱えている問題は、精神性の問題ではなく、霊性の問題
なのです。
生きていくことへの意味を見いだせず、生きがいの喪失に魂の呼吸不全とも言える状態で
す。
自助グループには、息を吹き返せるほどの気づき、覚醒が必要です。
そのためには、当事者同士だけの交流では得られにくいのです。
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AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
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