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アダルトチルドレンからの回復
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2009年7月
失敗者?
何かを行えば、失敗はつきものです。
その失敗を過度に恐れていては、何も行動を起こすことができなくなります。
失敗を恐れているのは、そのことで傷つくことを恐れているからです。
失敗は、ある行為、行動が、自分の望まぬ結果を出したということです。
ですから、改めるべき点は、その行為、行動です。
ところが、その行為、行動を起こした本体である自分自身を否定してしまうことが多いようで
す。
存在そのものの否定です。
私たちは失敗をしたというだけであって、「失敗者」ではないのです。
行動をやり直せばいいだけのことです。
過去にいくつかの認めがたい失敗もあるでしょう。
しかし、そのことで、自分の存在が生きていく価値を損なわれることはないのです。
以前、高校受験を失敗した青年が、父親から「おまえは人生の敗北者だ!」と言われ、その
ショックから字が読めなくなってしまったという事例がありました。
この父親にとって、このトップ高校に合格することは、家族にとっての至上命題となっている東
大合格のためには絶対必要なことだったのです。
あるひとつの高校に通らなかっただけで、人生の敗北者というレッテルをわが子に与えてしま
ったわけです。
自分自身も子どものころ、親から不適切な表現で何かをたしなめられたことがないかを振り
返ってみてください。
「ダメなやつだなぁ」
「見てるとイライラする」
「目障りだ。どこかへ行ってしまえ!」
等など
行為の失敗を自己の否定と受け取ってしまえば、あらゆる失敗が傷つきとなってしまいます。
傷つくことを避ければ、留まることを選びます。
そうなれば、成長はなくなるでしょう。
私たちは、行動は誤ることがあります。しかし、存在を誤っている人間などいません。
存在は生命(いのち)です。
その生命をどう働かせていくか。そこに自己の個性が現れます。
働かせ方を工夫しながら、やり直していくことが成長するということです。
否定されていい生命(存在)などどこにもないのです。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
https://www.interbrain.co.jp/course/empowerment/
AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
から開発された自己創造技法 『自心観』ゼミナール
https://www.interbrain.co.jp/adultc/
NPO法人地球家族エコロジー協会付設心理教育カウンセリング・オフィス
ふぉーらむ北辰
福岡県大野城市つつじヶ丘6-4-21
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年7月28日 08:42 | コメント(2)
挑戦への勇気
投稿者ケムリさんのコメントにお答えしましょう。
ケムリ
自分の人生は他者評価に支配されすぎだと感じています。
自分がどう思うかよりも、他人がどう思うのかが大きなウエイトを占めています。
これにより、対人する場面において過度の緊張感に襲われてしまいます。
これは、人生におけるおおいなる無駄です。
事実を事実として認識し、そこから他者評価という憶測を切り離すことができたら、新しい人生がスタートできる気がします。
他者評価に支配されすぎていることを大いなる無駄と気づかれていることは、とてもすばらし
い気づきだと思います。
自分が「できない」と勝手に思いこんでいることは、現状を正しく理解、把握していない場合が
多いようです。
決まってそういう場面では、周囲の評価を事実と誤認し、さらには、自身を過小評価している
ために、相対的にその状況をとてつもなく大きく、到底乗り越えられないものとして感じてしま
っています。
新たな何ものかに取り組む際には、勇気というものが必要です。
勇気をもてるためには、自己信頼感が不可欠です。
なぜなら、新たな取組みとは一種の賭けですから、自分に賭けることができなければならない
からです。それは自分を信頼できてこそです。
自己信頼感が自信であり、自分を信頼できていれば、周囲の自分に対する評価に、いちいち
一喜一憂することもなくなります。
勇気を出せない理由のひとつにあるものは、結果に対する恐れです。
もちろん、「失敗する」と思い込んでいます。
何事も結果というものは、フタを開けてみないことには分かりません。
つまり実行してみないことには分からないのです。
うまくいくかも知れないし、いかないかも知れない。
要は、たとえうまくいかなくても、そこからの悪影響を受けなければいいのです。
失敗も活かせば、次の取組みにとって、大きなプラスとなります。
失敗を修正した数の多い人ほど、成功へ近づけているのですから。
結果に対しての周囲の評価にも囚われる必要はありません。
なぜなら、周囲の評価はとかく無責任なものですし、さしたる根拠もありません。
あくまでも結果の状況(表面的な)に対して、「うんぬんかんぬん」言っているだけで、結果が本
人に与えた影響までは斟酌しません。
先に述べたように、影響が自分にとってマイナスでなければOKなのです。
他人の結果を酷評する人間ほど、成功できる手立てを尋ねても答えられないものです(笑)。
これを無責任というのです。
勇気を養うためには、かねてから小さな勇気を出す練習(リハーサル)をしておくことです。
初めての土地に行ってみたり、初めての買い物をしてみたり、初めて一人でお酒を飲みに行
ったり、きれいな景色を背に誰かに写真を撮ってもらうのを頼んでみるのもいいでしょう。
かねてから、ほんの小さな勇気でも出す練習をしていれば、いざという時に大きな勇気を出せ
るものです。
それから、自分の応援者がいてくれることも勇気を出せる大きな要因ですね。
挑戦の後押しをしてくれる存在がいることは、とても心強いものです。
ここでも自己信頼感が大切になってきます。
なぜなら自己信頼していない人間には、応援者はできにくいからです。
「俺なんかダメ」
「どうせ私なんか、つまらない・・・」
と自虐的になっている人には、周囲からの共感は得られにくいものです。
自分を信頼し、大切にしていれば、他者に対しても「きっと自分を大切にしているはずだから」
と相手を尊重しようとします。
自分を粗末にしない人は、決して人も粗末に扱いません。
自己信頼感が高まれば、自分が自分をどう評価するかを生き方の中心軸に据えること
ができるようになるのです。
ケムリさん、コメントありがとうございます。
すばらしい気づきによって、新たな人生のスタートラインに立っておられると思います。
応援しています!
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年7月22日 20:13 | コメント(3)
性格だから変われない
自己否定の材料には、容姿や能力の他に、性格が多くあげられます。
「もっと引っ込み思案でなければ・・・」
「人見知りしなければ・・・」
「物怖じしなければ・・・」
等など
しかし、これらの劣等感をもっている青年たちは、性格うんぬんではなく、実はこういった性格
によって創られた自分の人生に不満を抱えているのです。
ですから、本当に希望しているのは、満足できる人生の方です。
「性格が人生を創る」と言いますが、本当にそれだけでしょうか?
つまり、性格だけが人生を創造するのでしょうか?
多くの青年たちが、性格が人生を創り、その性格は変えられないから、結局人生はもう変え
られないと思い込んでいることが少なくありません。
結論から申しますと、たとえ性格が大きく変わらないとしても、人生、生き方を変えることは、
可能なのです。
例えば、性格をパターン化して分別する血液型や星座占い、はたまた県民気質などで、「そう
そう、当たってるー」と騒いだりしていますが(笑)、似た性格パターンの人が皆、同じような人
生を歩んでいるでしょうか?
もちろん違います。
それぞれが固有の生き方をしています。
では、性格を変えられなくてもどうやって人生を変えていけはいいのでしょうか。
それは、道具と技術、システムを活用すればいいのです。
「仕事術」「整理術」といった「〇〇術」というものがありますが、これらはより効率的に物事を
進めていくための技術です。思考法などもそれに入ります。
思い悩んでいる時に、確認しておきたいことは、事実に基づいていることか、非合理的、非
論理的ではないかということです。
「周囲から変に思われている気がする」これは、事実ではなく、単なる憶測、思い込みで
す。
「高校を中退した自分は人生の敗北者だ」これは、あきれるほど、非合理的であり、非論
理的です。
道具というのは、例えば思考法の道具にあるのは、言葉です。
私たちは何事かを考える時に必ず使用するものが、言葉、概念です。
言葉による定義づけにより、思考を整理、統合し、新たなアイデアを抽出することができま
す。
システムというのは、仕組みです。
新たな習慣を身につけ、人生を創造するためには、意志力だけでは心もとないところがあり
ます。そこで必要になるのが仕組みです。
仕組みは、想定した結果を導くための流れです。
右へ左へ流れの方向を変えながらも、川下へ流れていく川のように、一旦システムに乗せれ
ば、必ず望む人生を創り出せるのです。
同じ思考法(術)、道具、システムを使えば、性格の違う別々の人間が、共通の所定の結果を
出せるのです。
このことが、性格が変わらなくても、人生を変える事が可能であることをありありと示してい
ます。
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年7月15日 20:54 | コメント(3)
からっぽの自分
ひきこもり、アダルトチルドレンに共通してあるのが、喪失体験です。
ある時期に経験していたはずであろうことを経験なきままに過ごしてきた。
与えられていたであろうものを与えられずにきた。
人として成長していく発達過程に応じた機会や環境が得られず、実年齢に伴った(相応しい)
精神的な成熟が成しえていないというものです。
その場において自身がどう振舞えるかには、セルフイメージ(自己像)が大きく関わってきま
す。
前回『魂の牢獄』http://forum-hokushin.weblogs.jp/blog/2009/07/post-8cf5.htmlで述べ
た密告者というのは、この自己像なのです。
つまり、たとえ社会参加していても、「私はひきこもりである」という自己像のままだと、それに
相応しい振る舞いをし続けるのです。
結果、周囲からは奇異な目で見られてしまいます。
振る舞いを決定するのは、セルフイメージなのです。
「ひきこもりを取ったら、自分には何もない」と言った青年がいました。
自身の存在根拠をひきこもりに置いてしまっていたのです。
長きに渡るひきこもりによって、失われたものが大きかったからか、唯一の自分らしさをひき
こもりと誤認してしまっていたのです。
ひきこもるという自ら選択した治療法、対処法は、何を得るためのものだったのだろうか?
危機からの回避という安全感、安心感であったであろうか?
であるならば、その代償はあまりにも大きすぎた。
ひきこもりを日一日と継続させていく間に、失われるものになぜ気がつかなかったのか。
当初の理由(痛み)も忘れてしまっていた青年もいました。
ひきこもりを継続させた理由に気づいた時、ありたい自分をイメージすることが出来るように
なります。
自己像(セルフイメージ)の転換がなければ、古い殻を脱ぎ去って、羽ばたく美しい蝶にはなれ
ません。
サナギは、静止しているようで、その内部はダイナミックな大変革を遂げているのです。
AC(アダルトチルドレン)は、親から与えられた誤った価値基準により、自己像が歪み、しか
し、その偽りの自分を何の疑いも無く、本当の自分だと信じ込んでしまっていたのです。
いずれも「変化させる」という囚われへの処方箋を破棄してしまっていた結果です。
『ニート・ひきこもりエンパワー教室』
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AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年7月10日 21:17
魂の牢獄
かつて「自分は囚人です」と言った青年がいました。
この青年は10年以上にわたるひきこもりを経験した青年です。
「囚われ」という字を見てみると、囲いの中に人が閉じ込められている様子を表しています。
そういった意味では、ひきこもりの状態を実はよく表しているのです。
ひきこもりは、外出するとかしないとかの問題ではなく、自身の見識や信念にのみ囚われ、周
りとの間に、周囲と自分を隔てる高くて厚い壁、塀を築いてしまい、その中に閉じこもってしま
っている状態です。
そこでは、自由気ままなようでいて、現実は決してそうではなく、むしろ過度な罪悪感や恥辱
感から、見えない鎖で拘束され、自由を奪われています。
先の青年も、自分が選択してきた生き方に罪悪感を感じ、罰を与えられた囚人と例えたので
した。
罪悪感や恥辱感が強まると、自分の中のもう一人の自分が、自分がひきこもりであったこと
を密告しようとします。
それが、さとられ恐怖や見知られ恐怖です。
周囲に自分がひきこもっていたことが分かってしまうのではないか、自分に経験が少なく、で
きないことが多くあることを覚られてしまうのではないか、自分の心の奥を見透かされてしまう
のではないかと怯えるのです。
そしてその恐怖から逃れるために、ますます自分が創りだした牢獄の中に自分を閉じ込めよ
うとします。
そこから脱するためには、囚われや拘りを捨てることです。
それに必要なことは、気づきです。
aha experience(アハ体験)ならぬ、「あっ、そうかぁ!」という閃きです。
心の目が開かれ、新たな世界が開かれる体験です。
価値観が180度変わってしまうほどの霊的覚醒です。
霊的覚醒に関してはこちらhttps://www.interbrain.co.jp/spiritualcare/をどうぞ
閃きという字をよく見てください。
新たな門出に人が立っています。
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AC(アダルトチルドレン)、次世代AC(ACに育てられた子どもたち)の回復援助活動の中
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ふぉーらむ北辰
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(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年7月 4日 09:41 | コメント(3)
不安と恐怖を超えて
私たちの行動を妨げるものに、不安や恐怖といったものがあります。
これらの苦悩は、多くは痛みを伴います。
であるからこそ、その苦痛から逃れるために、私たちはあらゆる手段を使います。
現実逃避である「否認」が最も手短にとられる手段でしょう。
また、「怒り」というエネルギーに変えて、痛みを麻痺させることもします。
抑うつ的になり、あたかも仮死状態で死んだフリというのもあるでしょう。
いずれも、紛らわしであり、それで痛みが消えるわけではありません。
かえって、心の奥底に沈殿し、たまった水のように腐敗し、悪臭を放ってきます。
その悪臭は、歪んだ想念となり、心身を蝕みます。
ある時期(主に幼年期)、感情を表出することが自身に危険を及ぼす環境にあった場合、成人
してもなお、感情を押し込めることを身につけてしまっています。
涙を見せれば、「泣くなっ!」
笑えば、「うるさい!」
怒れば、「なんだその態度は!」
というような環境の中にあっては、感情を不要なものとして切り捨ててしまうのです。
押し込められた感情のひび割れから、不安、恐怖が吹き出してきます。
不安、恐怖を緩和していくためには、その対象を知る(見る)必要があります。
その正体を暴くのです。
その対象は、自分にとって脅威と感じられるものであったのでしょう。
自分に対して絶大な威力をもって、自分の中の何ものかを奪い、破壊したのです。
この奪われ、破壊されたものが何かが重要になってきます。
それををどうやったら守ることができるかを考えてみましょう。
未成熟な子ども時代には、守ることができなかったものでも、今のあなたであれば守る手立
てがきっとあるはずです。
過去に失ったものを再度手に入れる力も、今は持っているのですから。
(NPO法人 地球家族エコロジー協会) 2009年7月 1日 23:39
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